サマー・オブ・サム

2000/02/10 ブエナビスタ試写室
連続殺人鬼・サムの息子事件をモチーフにしたスパイク・リーの新作。
監督の意図はわかるが、わかりすぎるのも困る。by K. Hattori


 スパイク・リーの新作は、1970年代のニューヨークで起きた「サムの息子(サン・オブ・サム)」による連続殺人事件がモチーフ。といってもこれは事件の実録物ではないし、実在の事件をモデルにしたサイコ・ホラーでもない。リー監督は、この事件に対して人々がどう対応したか、事件の中で人々が何を考えていたかを描いている。人々が夜間の外出を控えたために、人気のなくなってしまう夜の街。犯人がブルネットの女性ばかりを標的にすると聞いて、髪を金髪に染める女性でにぎわう美容院。マフィアは犯人逮捕に高額の懸賞金をかけ、街の若者たちはバットを手にして自警団を組織する。サムの息子事件はこうしたドラマの背景であり、登場人物たちと犯人との間に直接の接点はまったく存在しない。

 いつも社会的なテーマを映画で描くスパイク・リーが、今から四半世紀近く前の事件をモチーフにしたのは、そこに現代に通じるテーマを見いだしているからに他ならない。今回この映画の中で描かれているのは、現在アメリカで社会問題化しているヘイト・クライムだ。多様な価値観を認め合うことで活力を維持してきたアメリカは、政治的には社会の少数派を保護するリベラルな政策を採ることが多い。例えば人種問題をとっても、世界でもっとも熱心に取り組んできたのは間違いなくアメリカだろう。しかしこうした熱心さは、人種間憎悪が根深い物であることの裏返しでもある。表向きはどうあれ、アメリカ社会の根底には人種や宗教や性に対するタブーや憎悪が存在し、しばしばそれが「犯罪」の形を取って社会の表面に吹き出してくるのだ。

 この映画の舞台はブロンクスのイタリア人地区。彼らは近所に出没する連続殺人犯を探すために自警団を組織し、近所で変わり者や厄介者扱いされている人物を次々に自分たちの容疑者リストに載せていく。その根拠は何だっていい。「子供を強くしかる神父」「ベトナム帰りのタクシー運転手」などがリストに載せられ、犯人の使った銃が44口径だという理由で、背番号44のプロ野球選手レジー・ジャクソンがリストに載せられそうになるほどなのだ。そんな彼らがもっとも怪しい人物とにらんだのが、最近街に戻ってきたリッチー。彼はパンク・ファッションに身を包み、周囲から完全に浮いていた。

 2時間22分の長尺をたっぷり使って、事件に動揺する人間たちを描いたのは立派。ただし作品の意図が途中から明白になりすぎて、最後のオチまで読めてしまうのは残念。映画の中には事件の犯人であるデビッド・バーコウィッツ(もちろん役者が演じている)も登場するが、どうせならバーコウィッツの逮捕までは彼の存在を完全に伏せて、マスコミを通じて知らされる犯人像に振り回される人々のみに焦点を当てた方がよかったのではないだろうか。観客が実際の犯人像を知らない方が、新聞の似顔絵がリッチーに似ているか否かというくだりもサスペンスになる。すべてが終わって、主人公が家で犯人逮捕のニュースを見ている方がいいと思うけど……。

(原題:SUMMER OF SAM)


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