白い刻印

2000/03/01 メディアボックス試写室
ラッセル・バンクスの「狩猟期」をポール・シュレイダーが映画化。
ニック・ノルティの鬼気迫る演技に驚く。by K. Hattori


 脚本家として参加した『救命士』の記憶も新しい、ポール・シュレイダーの監督最新作。ラッセル・バンクスの長編小説「狩猟期」をシュレイダー自身が脚色している。主演はニック・ノルティ。共演はジェームズ・コバーン、シシー・スペイセク、ジェームズ・コバーンなど芸達者な人ばかり。鹿狩りの解禁初日に起きた銃の暴発事故をきっかけに、主人公ウェイド・ホワイトハウスは破滅へと突き進んで行く。物語を引っ張る縦糸は「森の中で起きた事件は事故か殺人か?」というミステリーだが、細かなエピソードの数々が織り出すこの映画の図柄は「和解する事なき父と子の葛藤」というもの。子供の頃に父親の虐待で傷つき、家庭での平凡な愛情を知ることなしに育った男が、大人になっても自分の家庭を作ることが出来ないという悲劇。父親を憎悪しながら、知らず知らずの内に父親に生き写しの行動をとるようになる不気味さと滑稽さ。何ともやりきれない。

 親から虐待されて育った子供は、自分が親になったときに今度は我が子を虐待するケースが多いという。子供虐待の不幸な連鎖だ。しかしこうした家庭内での暴力行使を、「親にそう育てられたせいだ」と言い訳することは出来ない。この映画の主人公ウェイドも、「父のようにだけはなるまい」と心に誓って生きている。彼は別れた妻が引き取って育てている娘を愛しているし、彼女に対して暴力を振るったことなど一度もない。それなのに娘はどうしてもウェイドになつかず、月に何度かの面会日のたびに怯えた目で父親をながめ、「もうお家に帰りたい」とつぶやくのだ。ウェイドはまったく自覚していないが、彼の何かが子供を怯えさせている。親子関係をぎこちないものにさせている。映画を観ている観客にも、いったいウェイドの何がいけないのか最初はまったくわからない。きっと母親が陰で何か娘に吹き込んでいるか、ウェイドから娘を完全に引き離すために、彼女にあれこれ指図しているのではないかと思う。ウェイドが「親権を取り戻す裁判をしたい」と言い出したとき、それも半ばもっともな話だと考えてしまう。このあたりは上手い。

 物語が進むにつれて、ウェイドの性格が少しずつ明らかになってくる。森の中の死亡事故に対する疑惑。仕事上での対人プレッシャー。別れた妻との関係。母の死。父との同居。先の見えない親権裁判。そして耐え難い歯痛。そうした様々な要素が、押し込めていたウェイド本来の性格をむき出しにするのだ。ここで明らかになる、ウェイドと父親との奇妙な相似関係。父親を反面教師にして育ったつもりのウェイドが、あろう事かその父親そっくりの生き方をしていたことが明らかになる瞬間を、ほんの小さな仕草で決定的に表す演出の凄味。この瞬間に見せるシシー・スペイセクの表情が悲しい。

 父子を演じたニック・ノルティとジェームズ・コバーンが恐いぐらい。ただしミステリー側のドラマが少し弱くて、映画全体としてはやや平板になっているのが残念。『ファーゴ』や『シンプル・プラン』には届いていない。

(原題:Affliction)


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