ストップ・メイキング・センス

2000/03/10 メディアボックス試写室
'80年代の人気バンド、トーキング・ヘッズのライブ・ドキュメント。
監督は『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ。by K. Hattori


 1984年に製作されたトーキング・ヘッズのライブ・ドキュメンタリー映画。今回の公開では音響がドルビー・デジタル(プレスにはなぜかデジタル・ドルビーと書いてある)になって、オリジナル版以上にクリアな音になっているそうだ。試写室がデジタル対応かどうか不明なので、効果がどれほどのものかはわからないけどね。僕はこの映画を以前ビデオで見ている。ビデオで見てもかっこいい映画だけど、大きなスクリーンで観るとそのかっこよさは格別だ。僕はトーキング・ヘッズのファンではないし、彼らの音楽にも特別の思い入れや知識があるわけじゃない。でも映画『ストップ・メイキング・センス』で描かれている彼らのステージ・パフォーマンスは、やっぱりかっこいいと思ってしまう。

 監督は『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ。撮影は『ブレードランナー』のジョーダン・クローネンウェス。この映画は一般的なライブ・フィルムと違って、カメラは客席で熱狂する観客の様子をほとんど写さない。手持ちも含む数台のカメラはひたすらステージ上のパフォーマンスを凝視し、時にはステージの上をアーティストたちと共に動き回る。カメラアングルの中になるべく他のカメラが写り込まないように編集されており、映画を観ている観客は、時としてステージの上をアーティストたちと歩き回っているような気分になるだろう。

 この映画は観客席からの視点で作られてはいないが、かといってステージ上のアーティストたちの視点で作られているわけでもない。舞台袖や舞台裏の様子を一切見せず、カメラが映し出すのはひたすらステージ上で行われているパフォーマンスだけだ。ライブ・ドキュメンタリーの多くが、舞台裏でくつろいだり演奏の合間にいらついたりするアーティストたちの素顔をある種のセールス・ポイントにしているのとはまったく正反対の切り口。

 結局この映画が記録しているのは、観客とアーティストたちの間にある「ステージ」という場所に出現した、ごくパフォーマンスの数々に過ぎない。しかしその記録性は、まるで学者が標本を観察するときのように緻密で全方位的。「熱狂」や「熱気」とはまったく別の部分で、ひたすらじっくりとパフォーマンスを観察しているような冷たさがある。こうした被写体とカメラの距離感が、この映画の魅力やかっこよさに繋がっているように思える。自分たちの演奏に陶酔することなく、いつも大勢の観客に「観られている」ことを意識しながらステージ上を動き回るデビッド・バーンを撮影するには、こうした醒めた視点が必要なのだと思う。

 ギター1本とラジカセを持ってステージに現れたバーンが、1曲目の「サイコ・キラー」を歌い出すオープニングから、ステージ上に少しずつ人や物が増えていくという構成の面白さ。目を見開いて首を前後にガクガク振ったり、リズムに合わせて左足で床を蹴る動作。その印象はロックコンサートというより、パフォーマンス・アートに近いものだと思う。

(原題:STOP MAKING SENSE)


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