マン・オン・ザ・ムーン

2000/03/16 東宝東和試写室
実在のコメディアン、アンディ・カフマンの伝記映画。
主演のジム・キャリーは熱演だが……。by K. Hattori


 1984年に35歳で世を去ったアメリカの異色コメディアン、アンディ・カフマンの伝記映画。監督はミロシュ・フォアマンで、脚本はスコット・アレクサンダーとラリー・カラズウスキー。要するに『ラリー・フリント』のメンバーが再び集まって、芸人の一代記を作ったというわけです。他にも製作総指揮、撮影監督、共同編集などに『ラリー・フリント』と同じ顔ぶれが見えます。主演は最近すっかり演技派になったジム・キャリーですが、その恋人役はやはり『ラリー・フリント』で主人公の妻を演じていたコートニー・ラブ。この映画は今年のアカデミー賞から完全に無視されてしまったわけだが、それもある意味では仕方のないことのように思える。映画そのものは『ラリー・フリント』と同じテイストだし、ジム・キャリーの演技は『トゥルーマン・ショー』(やはり無冠)の方が生き生きしていたからだ。

 アンディ・カフマンというコメディアンがアメリカでどの程度有名なのか知りませんが、少なくとも日本でこの芸人を知る人はほとんどいないでしょう。僕もまったく知らなかった。映画の中には彼の奇想天外な芸の数々が紹介されていますが、その突飛さたるや「10年早かった」とか、そういうレベルの問題じゃない。ギャグの方向性がまるっきりトンチンカンなのです。観客を笑わせるだけでなく、観客をわざと退屈にさせたり、イライラさせたり、怒らせたりする。それらすべてを周到な準備と演出で作り上げることがカフマンの芸だった。ステージに出てきて「マイティ・マウス」のテーマ曲を2小節だけ歌ったかと思うと、大学では「グレート・ギャツビー」を1冊丸ごと朗読し、ラウンジ歌手のトニー・クリフトンを演じては観客たちを恐怖で震え上がらせ、男女混合プロレスのチャンピオンを自称してアメリカ中を敵に回す。ヤラセと仕込みで観客をその気にさせておいて、最後まで「じつはギャグでした」とやらない可笑しさ。カフマンの芸は、最後まで種明かしのない「どっきりカメラ」のようなものです。

 僕は映画の中のカフマンの生き方を見て「なんだかスゴイぞ」とは思ったけれど、そこから何を読みとればいいのかはさっぱりわからなかった。カフマンのギャグの本質は「ナンセンス」なものだから、それを解釈したってしょうがない。カフマンのギャグは「わけがわからないけどスゴイぞ」と思っていればいいものだと思う。でもこの映画はそんなアンディ・カフマンという個人の人生を描いているのだから、そこには何らかの意味やテーマがないと、映画を観た後の充実感に欠けるのです。ミロシュ・フォアマンは『ラリー・フリント』でエキセントリックな主人公を描きつつ、その行動の中から「言論の自由」というテーマを引き出してきた。しかし今回の映画のカフマンから、観客はどんなテーマを見出せばいいのだろうか。カフマンが最後に見せる笑顔はじつに印象的だったが、それがこの映画のテーマとどう結びついているのかが僕には理解できなかった。

(原題:MAN ON THE MOON)


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