クリクリのいた夏

2000/03/28 メディアボックス試写室
1930年代のフランスの田舎暮らしを美しく描く。
これは傑作。最後はホロリと来た。by K. Hattori


 第一次大戦が終わって、前線から兵士たちが戻ってくる。ほとんどの者は平和な日常へと適応して行くが、激戦地で九死に一生を得たガリスは戦場で受けたショックからなかなか立ち直ることができず、フランス片田舎にある沼地のほとりで世捨て人のような生活を始める。すぐ近くの小屋に住む、少し頭の弱いリトンという男が唯一の隣人だ。沼周辺の豊かな自然の恵みは、食っていくのに困らない程度の現金収入をもたらしてくれる。そんな生活も12年。沼地にはまた美しい夏が来る……。

 監督は『殺意の夏』『エリザ』のジャン・ベッケル。主人公ガリスを演じるのは『ペダルドゥース』『カンゾー先生』のジャック・ガンブラン。隣人リトンを演じるのは『奇人たちの晩餐会』のジャック・ヴィユレ。『カドリーユ』『恋するシャンソン』のアンドレ・デュソリエがふたりの友人アメデを演じ、名優ミシェル・セローが富豪の老人ペペを演じている。物語の語り手は、リトンの末娘で4歳か5歳のクリクリという少女。彼女が成長して、幼い日の思い出を語るという構成だ。映画の中では場所も年も明らかにされていないが、フランス大統領暗殺事件のニュースやヒトラーが間もなく政権を執る云々という話が出てくることから、これが1932年の夏であることがわかる。

 特に大事件が起きるわけではありません。沼地で暮らしているガリスとリトン一家のもとへ、かつて沼地で暮らしていたという大富豪ペペが訪れ、親交を深めるという話です。今では町でも有数の名士になっているペペですが、彼はガリスたちに向かって「沼を離れたのは間違いだった」「沼の生活の方が今よりはるかに豊かだった」と言うのです。経済的に豊かになっても、必ずしも幸せとは限らない。むしろ克服してしまった貧しさの中に、我々は本当の豊かさを忘れてきてしまったのではないかという、通り一遍の決まり文句です。日本でも同じようなことを語る人がいますけど、本当のところはどうなんでしょう。豊かで何不自由のない生活をしているからこそ、貧しい時代が幸せだったと言えるのではないでしょうか。おそらくこれは、単なるノスタルジーだと思う。貧しさの中で苦労している人に向かって、「お前は今ある幸せを大事にしろ」なんて言えるだろうか。

 例えばこの映画に登場するペペの記憶の中では、遠い昔に亡くなった妻の存在と沼地とが深く結びついている。大きくなった会社を娘婿に譲り、今では家の中でも身の置き所がないペペは、自分の育った沼地に郷愁を感じているのでしょう。でも同じ沼地で育ったペペの娘は、そんな父親に向かって「沼地での生活は恥ずかしいから隠しておきたい」と言います。今の生活に幸せと充実を感じている人は、ノスタルジーに浸らないのです。そんな部分まで描いているこの映画が、単なるノスタルジー遠い昔の美しい風景を描いているわけがありません。思い出は必ず美化される。それを認めた上で、美化した思い出を思い切り肯定する開き直りが感動を呼ぶのです。

(原題:LES ENFANTS DU MARAIS)


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