パンと植木鉢

2000/05/29 映画美学校試写室
イランの映画監督が自分の少年時代を映画化しようとするが……。
モフセン・マフマルバフが自身の過去を映画化。by K. Hattori


 この映画の試写に行くのは今回が2度目。前回は体調が悪くて途中で寝込んでしまい。全体の半分も観られなかった。3分の2以上観ていればそれでも感想を書いてしまったりするのですが、1時間ちょっとの映画で半分以上寝たのでは、何がなんだかよくわからない。結局もう一度試写を観ることにした。結果としては、それがよかった。この映画は同じモフセン・マフマルバフ監督の『ギャベ』同様、現在と過去がきわどく交差するドラマ。寝ぼけていると、何がなんだかよくわからない。

 どこまでが実話でどこからがフィクションなのかよくわからない映画ですが、物語の前提は実話をもとにしています。少年時代に政治運動家をしていたマフマルバフ監督は、警官の銃を奪おうとして逮捕投獄されていたことがある。今から20年も前の話だ。ある日監督の家に「私はあの時刺された警官です」と名乗る自称・俳優が現れる。彼の話に興味を持った監督は、自分たちの物語を映画にすることに決め、自分たちの少年時代を演じる子役をオーディションで選び始める。撮影は2チームで行い、監督は自分の少年時代を演じる子役に演技指導しながら演出を行い、元警官の男も同じように自分の少年時代を演出する。撮影当日は落ち合う場面だけを決めておいて、出会い頭に一発勝負で撮影する。互いに面識のないふたりの少年が街角で出会って人生が交錯した過去を、映画撮影の現場でも再現しようという試みだ。

 『ギャベ』が若い娘の告白と老夫婦の物語という二重構造になっていたように、この映画も監督と元警官のふたりと若い少年少女たちの物語の二重構造になっている。少年少女たちは監督たちの20年前を再現しようとするのだが、そこには微妙な食い違いやすれ違いが生じて、まったく同じ事件が再現されることはない。この「差」こそがこの物語のダイナミズムになっている。

 元警官は20年前、市場で毎日のように自分に声をかけてくる少女に淡い恋心を抱いており、事件さえなければ彼女と恋人同士になれただろうと子役の少年に語る。監督は事件当時いとこの少女とつき合っており、事件当日も監督と一緒にいて共に投獄されてしまったという。なんと元警官が恋心を抱いていた相手は、監督の恋人であり共犯者でもあったのだ。それを20年間まったく知らされず「彼女は僕が好きだった」という幻想を抱き続けている元警官が、撮影当日になってすべての真実を知ってしまうところが、ストーリーの上でのクライマックス。逆上した元警官は子役の少年に、「道を聞く奴は男でも女でも構わず撃ち殺せ」と演技指導するのだが……。

 この映画でもっともスリリングなのは、じつはこのクライマックスより少し前にある。監督が恋人だったいとこの家を訪ねる場面で、ほんの一瞬だけ、いとこの娘と子役の少女が20年前の監督と恋人を演じてみせる場面がある。現在の中に「過去」という異空間が束の間侵入するスリル。「映画の中での過去の再現」という物語の枠組みが、ここでグラリと揺らぐのです。

(仏題:UN INSTANT D'INNOCENCE)


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