金髪の草原

2000/06/12 映画美学校試写室
大島弓子の原作を『二人が喋ってる。』の犬童一心監督が映画化。
自分を二十歳だと思っている老人と少女のロマンス。by K. Hattori


 『二人が喋ってる。』の犬童一心監督が、市川準監督の『大阪物語』(犬童監督は脚本を担当)で知り合った池脇千鶴の主演で描く、大島弓子原作のファンタジー映画。二十歳の帝大生・日暮里は、ある朝目覚めると、自分の周囲がすっかり様変わりしていることに気づいた。部屋や家の中の様子も昨日までと随分違うし、家の中は無人でガランとしている。家の周囲の様子もまるで様子が違う。起きあがろうとしても身体が妙に重たく、階段の上り下りにも一苦労だ。まるで夢の中にいるような奇妙な感覚。やがて家にやってきたのは、通学途中でいつも姿を見かけ、秘かに想いを寄せていた憧れのマドンナだった。“古代なりす”と名乗った彼女は、これから毎日やってきては自分の身の回りの世話をしてくれるという。やはりこれは夢だ。しかもとびきり上等の夢に違いない……。じつは日暮里は80歳の老人で、なりすは近くの老人介護センターから通ってくるホームヘルパーなのだが、日暮里には自分が老人だという自覚がまったくないのだ。記憶もすべて二十歳の時に戻っている。こうして、自分が二十歳だと信じる老人・日暮里と、18歳のホームヘルパーなりすの生活が始まる。

 映画『秘密』で広末涼子が「高校生の肉体を持った中年のおばさん」という役を演じていたが、年齢と肉体のギャップという意味では、この映画の中で伊勢谷友介が演じた「二十歳だと自覚している80歳の老人」の方が厄介だ。日暮里は映画の中では二十歳の若者として画面に登場するし、日暮里自身も自分を二十歳だと思っている。そこには「肉体と精神のギャップ」というものがない。しかしやはり日暮里は老人なので、言葉遣いは古風でゆっくりしているし、動作は緩慢で、少し動くとすぐに疲れてしまう。伊勢谷友介は『ワンダフルライフ』に少し出ていたぐらいで、俳優としてはまだまだ未熟なところもある。でもこの映画ではその未熟でぎくしゃくした部分が、白日夢の中で漂う日暮里のキャラクターにうまくはまって面白い効果を出していると思う。ヒロインを演じた池脇千鶴、その親友を演じた唯野未歩子、日暮里の学友を演じた加藤武などのリアルな芝居に比べると、伊勢谷友介の芝居はどうにも頼りなくフワフワしている。でもこのフワフワした感じが、いかにも日暮里なのだ。

 この映画が巧妙なのは、日常の中の非日常という異物感を日暮里ひとりに担わせるのではなく、自称13歳のクレープ屋や、日暮里の枕元に突如現れるコメディアンという形で補強しているところ。眠る日暮里のすぐそばで、コメディアンの堺すすむがギターを弾きながら「な〜んでか?」と歌う可笑しさ。けたたましい音楽を鳴らしながら、クレープ屋の車が日暮里の家の庭先に入ってくる場面の面白さ。ゾクゾクします。これぞ映画だ。

 ヒロイン周囲の置かれている心理状況やリアルな日常性を強調するためだとは思うけれど、彼女が脱ぎ捨ててあるパンツをはく場面は不要だと思うけどなぁ……。ここだけ妙に生々しくて違和感がありました。


ホームページ
ホームページへ