英雄の条件

2000/06/15 ヤマハホール
サミュエル・L・ジャクソンとトミー・リー・ジョーンズ主演。
軍人の誇りが日本人にはわからない。by K. Hattori


 ハリウッド映画は「世界中の誰が観てもわかる」ように作られているのが普通だ。そんなハリウッド映画でも、日本人にはいまひとつピンとこないジャンルが幾つかある。そのひとつは『エンド・オブ・デイズ』や『スティグマータ/聖痕』『ドグマ』などのキリスト教系映画。もうひとつが軍隊内での犯罪をテーマにした『ア・フュー・グッドメン』『戦火の勇気』『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』などの映画だ。どちらも知識があればある程度は内容が理解できる。でも理解できることと腑に落ちることは別だ。僕は『ドグマ』の中に登場するギャグを理解はできる。でもそれは頭で理解しているだけなので、心から笑うことはできない。同じように、僕はハリウッドせいの軍隊映画を頭では理解できる。でもそれが腑に落ちない。心のどこかで「それは違うだろ」「どこかヘンだろう」と思い、「これは日本人だけが特殊なのかなぁ」と思い直す。そんなことの繰り返しだ。世界の中で、日本ほど国民と軍隊の距離が遠い国はないだろう。そもそも国民の多くは自衛隊を軍隊だとすら認識していない。日本人にとっての軍隊経験は、50数年前の旧日本軍しかないのだ。そんな国で、兵士の誇りや義務、国家への忠誠、兵士同士の友情などを描いた映画が、きちんと理解されるはずがない。

 「国家に軍隊は必要か?」「国土防衛や国民の安全を守るための武力行使は許されるか?」などという基本的なことに、そもそも疑問を持っているのは、世界広しといえども日本人ぐらいのものです。もちろんアメリカにだって「軍隊不要論」を唱える人はいるかもしれないけれど、議会でそれが話題になることなんてあり得ない。国家に軍隊は付き物で、国家の安全や権益を守るための武力行使は当然のことだとされている。問題は軍隊の有無や戦争の是非ではなく、軍隊をどのように使い、どんな戦争をするのかという細部にある。この映画の原題は『Rules of Engagement(交戦規定)』という。軍が銃を発砲するのは禁じられていない。だがそこに至る手順は厳格に決められているし、それを破れば罰せられる。これが世界各国の軍隊とのつき合い方だ。

 イエメンのアメリカ大使館がデモ隊に包囲され、投石や火炎瓶、銃の乱射などで大使や職員は危険な状態に陥る。大使館職員の救出にやってきたのは、テリー・チルダース大佐率いる海兵隊。大使たちを非難させた後、チルダース大佐は大使館外の群衆に向かって銃撃を命じる。海兵隊側は3名の死者を出したが、デモ隊の死者は83名。銃を持たない群衆を射殺したとして、チルダースは軍法会議にかけられるのだが……。

 法廷ドラマとしての焦点は「群衆は銃を持っていたか?」「それをどう証明するか?」なのだが、映画のテーマになっているのはそうした謎解きや法廷戦術ではなく、軍人の誇りや、軍人同士の絆の強さ、国家への忠誠心の気高さといったものだと思う。この肝心な部分が、残念ながら日本人である僕にはピンと来ないのだ。

(原題:Rules of Engagement)


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