フローレス

2000/07/24 UIP試写室
デ・ニーロ主演が病気リハビリの男を演じるのヒューマンドラマ。
監督は『依頼人』のジョエル・シューマカー。by K. Hattori


 監督・脚本は『バットマン』シリーズや『依頼人』『評決の時』『8mm』のジョエル・シューマカー、主演はロバート・デ・ニーロ、共演は『ブギーナイツ』『マグノリア』『ハピネス』『リプリー』などで最近注目を集めているフィリップ・シーモア・ホフマン。映画のできも特に悪くないのに、どういうわけか日本では(よりにもよって)銀座シネパトスで単館公開です。確かに全国のチェーンに乗せる映画としては、少し華やかさや派手さに欠けるかもしれません。デ・ニーロの恋人になる女性をもっと若い美人にするとか、犯罪ドラマの部分をもっとふくらませて、最後は手に汗握る派手な銃撃戦やカーチェイスを入れるなどすれば、また別の展開も考えられたでしょう。でもそうすると、この映画が持っている穏やかな味わいの大半は失われてしまう。映画のテーマとは無関係に、売るための映画作りが前面に出てきてしまう。確かに興行的にアピールする部分は小さいかもしれませんが、これはこれでいい映画だと思います。作品のテーマに見合った映画作りがあっていい。

 デ・ニーロが演じている主人公ウォルトは元警官だが、今は現役を引退し、小さなアパートで悠々自適の一人暮らしをしている男だ。町の人々からも慕われて友人も多い。だがある晩、彼は住んでいるアパートで銃声を聞きつけてドアから廊下に飛び出すと、そこで脳卒中の発作を起こして倒れてしまう。すぐに病院に運ばれたが、ウォルトは発作の後遺症で半身不随になってしまう。それ以来、ウォルトは外出を避け、友人を避け、アパートの自分の部屋の中に閉じこもってしまう。だが医者から「言葉のリハビリには歌を練習するのがいい」と聞いて、同じアパートに住むドラッグ・クイーンのラスティに、歌のレッスンを依頼するのだ。

 物語はギャングの元から盗まれた金の行方を巡るサスペンスと、ウォルトとラスティとの友情の深まりを並行して描いていく。自由に動かなくなってしまった自分の身体を憎み、一時は死ぬことさえ考えるウォルトと、肉体的には男性だが心は女性というラスティ。ふたりは自分自身の身体に不快感や居心地の悪さを感じているという点で、よく似ているのです。ウォルトはどんなにリハビリを重ねても、病気以前とまったく同じように身体が快復することはないでしょう。彼はどこかで自分の身体と心に折り合いをつけて生きなければならない。同じようにラスティも、たとえ大金をかけて手術をしようと、彼(彼女)自身が理想とするような女にはなれない。

 ウォルトやラスティに限らず、人間は誰だって「自分が理想とする自分自身」の姿と、掛け値なしの自分自身の姿にギャップを感じながら生きている。ウォルトやラスティの悩みは我々の悩みです。この映画は病気で半身不随になった男とドラッグ・クイーンの物語ですが、そこで描かれている事柄は、わりと普遍的なものなのです。この映画の欠点は、欲張って政治的な問題などにも触れた結果、その普遍的テーマが弱まってしまったことです。

(原題:Flawless)


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