わたしが美しくなった100の秘密

2000/08/24 シネカノン試写室
アメリカの田舎町で開催されたミスコン予選の顛末記。
このだらけた雰囲気が好きになれるか。by K. Hattori


 女性差別・女性蔑視・性の商品化などの理由を付けて、日本でも最近はミスコンへの風当たりが強い。この風はフェミニズムの先進国アメリカから吹いてきたものだが、そのアメリカでは今でも大小さまざまなミス・コンテストが開催されて、若い女性たちがその結果に一喜一憂している。もちろんそれに対する風当たりもあろう。しかしそれを「どこ吹く風」と受け流すのも、アメリカの持つ健全さの現れだろう。「差別だ」「蔑視だ」と言われた途端、あっと言う間にイベントを中止してしまうのも、後々に遺恨を残すと思うんだけどなぁ……。

 この映画はアメリカのミスコンを、徹底して茶化したコメディ映画。だがここには何の社会的なメッセージもないし、ミスコンそのものに対する批判もない。登場人物たちも映画の中で成長するわけではないし、取り立てて大きく傷つくわけではない。映画の構成は地方のミスコン予選から本選までの中で起きる、ありとあらゆるアレヤコレヤ(?)を徹底してギャグにしたもの。それぞれの場面で瞬発的にギャグを飛ばし、それが次の場面とまったくつながっていかないという、およそ全体のコンストラクションを考えない泥縄式の展開に、観ていて思わず全身の力が抜けてくる。詰まらないわけではない。かといって爆発的な面白さもない。「ぬるい」という言葉こそ、この映画に相応しい。しかしこの「ぬるさ」が、少しずつ心地よくなってくるのも事実だ。

 物語の舞台は、アメリカのド田舎、ミネソタ州の中でも、さらにド田舎の小さな町マウントローズ。トレーラーハウスに住む母子家庭から、ミスコン出場を目指す主人公アンバーが、ミスコンの司会者で地元の名士の娘ベッキーとクイーンの座を争うというのが基本的な筋立て。実力で勝負するしかないアンバーに対し、ベッキー側は審査員の買収や裏工作、ライバル出場者への露骨な妨害工作などを使って、コンテストの結果を有利に運ぼうとする。最後に勝利するのははたして誰か?

 この映画がただのぬるいコメディ映画と一線を画しているのは、その豪華なキャストによるところが大きい。貧乏が売りのヒロイン、アンバーを演じているのは『ヴァージン・スーサイズ』のあばずれ娘キルスティン・ダンスト。彼女が演じるのだから、当然アンバーは単なる可哀想な美少女じゃない。もっとたくましいのです。ライバルの金持ち娘ベッキーを演じるのは、『ワイルドシングス』でも金持ちのバカ娘を演じ、『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』では一転して女性科学者を演じたデニース・リチャーズ。ライバル役のダンストとは、実年齢で10歳違いなんですけど……。他にもベッキーの母を演じたカーティ・アレイ、その腰巾着を演じるミンディ・スターリング、アンバーの母を演じるエレン・バーキン、その親友役のアリソン・ジャネイなど、映画ファンなら見覚えのある顔が次々に登場する。この映画の一番の面白さは、「この人が何でこんな役を」という疑問が、終始頭から離れないことだったりして……。

(原題:DROP DEAD GORGEUS)


ホームページ
ホームページへ