アレクサンダー戦記

2000/09/27 ヤクルトホール
古代マケドニア王アレクサンドロス3世の生涯をアニメ映画化。
物語がダイジェスト過ぎる。工夫がほしい。by K. Hattori


 紀元前4世紀に世界で最初の世界帝国を築いたアレクサンドロス3世の生涯を、韓国・日本・アメリカの合作で映画化したもの。音頭取りが日本で、実作業が韓国、仕上げがアメリカという作業分担だろうか。原作は荒俣宏の「幻想皇帝・アレクサンドロス戦記」。OVA作品として各30分13話のフォーマットで発売済みのものを、劇場用に1時間42分に編集してある。マケドニアの若き王子アレクサンダーの華々しい初陣から始まり、王宮内での陰謀、ロマンス、宿敵であるペルシャ王ダリウス(ダレイオス)3世との戦いなどを描く。登場人物も話の流れも基本的には史実に沿っているし、アレクサンダーと哲学者ディオゲネスの有名なエピソードなどをちりばめ、アレクサンダーと部下たちの反目や背信の裏に新解釈を施すなど、物語はかなり意欲的な内容。ただし劇場用のアニメ作品としてはまったくダメ。OVA作品の再編集だからだろうが、今時このクオリティの絵を劇場のスクリーンに掛けるのはいささかお粗末だと思う。

 最大の欠点は、とにかくすべてがダイジェスト版すぎること。これじゃ年末に放送する大河ドラマの総集編よりひどい。父王フィリポス暗殺のくだりなど、台詞とスライド風の絵でさっと流してしまうから、何がなんだかよくわからない。後にアレクサンダーの妃となるロクサネも、わずか数シーンに登場するだけで存在感ゼロ。アリストテレス、ピュタゴラス教団、プラトンなどのギリシャ哲学関係者が、プラトン立体なる奇妙な立方体の争奪戦を演じるくだりも、どんな意味があるのかよくわからなかった。キリストが残した聖杯の古代ギリシャ版みたいなものなんでしょうかね。

 上映前の舞台挨拶で、監督やプロデューサーがキャラクターデザインについて盛んに弁解していたが、登場人物の顔立ちなどはあまり気にならなかった。それより時代考証の大胆なアレンジが気になる。物語は一応紀元前だし、画面には年号が字幕で出てくるのだから、衣装や建物のデザイン、メカニックデザインなどが、あまり未来的になってしまうと混乱する。特に動く歩道やエレベーターは気になる。あの動力源はなんなんでしょう。奴隷が綱を引いているのだろうか。戦闘シーンには巨大な戦車や移動要塞のようなメカも登場するが、これらの動力源は何だったのか。ピュタゴラス教団のメンバーが空を飛んでもかまわないけど、メカの動力源は気になる。なぜ気にするかというと、こうした動力源が何であるかによって、社会の仕組みが違ってくるからです。産業革命に匹敵する技術力があれば、その世界は奴隷なんて不要なんです。でも映画には奴隷商人が出てくる。

 映画用にオリジナル・ストーリーを作るならともかく、この映画の作りでは、ビデオ版のファンにとっても、これからこの作品に初めて触れる人にとっても中途半端すぎる。主人公たちのコスチューム、ピュタゴラス教団のメンバー、ペルシャ軍の軍服などには、『新世紀エヴァンゲリオン』の影響が露骨に見える。


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