スプリング・イン・ホームタウン

2000/10/02 シネカノン試写室
朝鮮戦争末期に韓国の小さな村で起きた出来事を、
ひとりの少年の視点から描いた作品。by K. Hattori


 2年前の東京国際映画祭でコンペ部門に出品され、東京ゴールド賞を受賞した韓国映画『故郷の春』が、『スプリング・イン・ホームタウン』というタイトルになって日本でも劇場公開されることになった。僕は映画祭で一度観ているのだが、その時はまったく面白いと思えなかった作品。ところが今回改めて試写を観ると、これが面白い。なぜこんなに印象が違うのか、自分でも不思議に思うぐらいだった。前回観たときは間延びして退屈に思えたものが、今回は緊張感に満ちたものに思える。体調とか、その時の気分とか、いろんな要素があるとはいえ、ここまで評価が変化してしまうことも珍しい。

 朝鮮戦争末期の1952年。主人公の少年たちが暮らす山間の小さな村は、大きな戦闘に巻き込まれなかったとはいえ、戦争によって深く傷ついている。2年前の6月25日に突然南進を始めた北朝鮮軍は、わずか数日でソウルを陥落させ、9月はじめには半島全域を支配してしまう。9月半ばにはマッカーサー率いる国連軍が投入され、北朝鮮軍は雪崩を打って敗走する。だがその後も38度線をはさんで攻防が続き、開戦から1年後には膠着状態に入った。だが北朝鮮軍にかつての勢いはなく、軍事拠点を要塞化して国連軍の猛攻に耐えている状態。この映画に登場する村では、北朝鮮軍に協力した住民に対するリンチが行われている。北朝鮮軍に捕虜として連れ去られた男たちがいる。北朝鮮軍とそのシンパに、一家を皆殺しにされた小学校教師がいる。学校は丸焼けになったのか、生徒たちはテントで授業を受けている。一見のどかで平和に見える村も、戦争で負った生傷からまだ赤い血を流しているのだ。

 腕白坊主のソンミンと、その一家の物語だ。姉は国連軍のアメリカ人将校とつき合っており、その口利きで父親は米軍関係の仕事について羽振りがいい。ソンミン一家の隣に暮らすのは、父親が北朝鮮軍の捕虜として連れ去られているチャンヒ一家。大黒柱を失ったこの一家は、極貧生活にあえいでいる。ソンミンとチャンヒは、村はずれの廃屋で若い娘がアメリカ兵相手に売春している様子をのぞき見する。ごく普通の素人娘が知り合いの男の紹介で、ごくわずかな現金を得るために春をひさぐ光景は痛ましい。戦争に傷ついた韓国の圧倒的な貧しさ。そこにやってきた物資豊かなアメリカ軍にへばりつくことでしか、人々は経済的な実りを得ることができない。ソンミン一家は姉を将校のオンリーさん(占領軍兵士の妾を戦後の日本ではこう言った)にすることで経済的な豊かさを手に入れるわけだが、父親も母親もそのことをまったく恥じていない。むしろ娘は親孝行ないい子なのだ。

 カメラは全編固定され、どんな場面でも微動だにしない。それがかえって、登場人物たちの小さな動作を際だたせて、心の動きを拡大して見せる。クローズアップはほとんどない。背景と人物は一体となり、その時代のその場所に息づいている。音楽もごく最小限に抑制されており、所々で効果的に使われて場面を盛り上げる。

(英題:Spring in My Hometown)


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