サングラドール

2000/11/03 ル・シネマ2
(東京国際映画祭・シネマプリズム)
20世紀初頭のアンデス地方を舞台にした『マクベス』の翻案。
モノクロ映像が美しいが、話は小さい。by K. Hattori


 シェイクスピアの『マクベス』を、20世紀初頭のアンデス地方に翻案した作品。監督はベネズエラのレオナルド・エンリケス。ビスタサイズで全編がモノクロ。東京国際映画祭のシネマプリズム、ラテン・アメリカ映画小特集の1本として、英語字幕付きのプリントを鑑賞。僕は英語がまったく駄目なのだが、そこは『マクベス』ですから何となくわかる。原作の筋立てはそのままなので、台詞がわからなくてもまったく平気。軟調のモノクロ映像が、映画全体を霧に包まれたような柔らかな画調にし、それが物語を幻想的にする。こうした幻想を許す雰囲気がないと、映画の中に魔女が出てきて予言をするという『マクベス』の世界が作れない。

 この映画は主人公マクベスを、アンデス山中を根城に村々を荒らし回る山賊にアレンジした。魔女の予言を真に受けて、山賊の首領を殺して自分が後釜に座った主人公マックス。だが信頼を裏切って地位を手に入れた男は、自分も裏切りによって地位を奪われる恐怖に取り憑かれる。一緒に魔女の予言を聞いた親友J.B.を殺したマックスは、親友の幽霊に恐れおののく。山賊のアジトは主人の狂気と恐怖で幽霊屋敷のようになり、部下たちは櫛の歯が欠けるようにひとりまたひとりと減って行く。首領殺しをそそのかしたマックスの妻は、手に付いた血の幻影に取り憑かれて正気を失っていく。やがて殺された盗賊の頭の息子やJ.B.の幼い息子をリーダーにした反乱軍が、浮き足だったマックスに襲いかかる。

 アイデアは面白いと思うけど、描かれている世界の規模が小さすぎる。山賊団はせいぜい数十人にしか見えないし、最後に襲ってくる反乱グループに至っては十人いるかいないかだ。荒涼とした風景の壮大さに比べて、人間があまりにも小さすぎる。せっかくのシェイクスピア劇が、舞台装置に負けている感じがする。主人公を山賊にする部分はうまくこなれているのだが、問題は魔女たちの描写がうまくアンデスの風景に馴染んでいないこと。最初に若い魔女たちがキャーキャー騒ぎながら出てきたときはまだ気にならなかったのだが、中盤のサバトの場面はまるでヨーロッパの魔女幻想そのまま。この魔女にラテン・アメリカなりの呪術性が感じられれば、この物語はシェイクスピアの『マクベス』を土台にしながらも、まったく別の作品として成立しただろう。現在の映画はアイデアばかりが前に出て、細部がまだこなれていない感じがする。マスベス夫人にあたるマックスの妻も、冷酷非情な野心家なのか、愚かな小心者なのか、夫の栄達を願う良妻賢母型なのか、どうも中途半端なのだ。

 『マクベス』の日本での翻案には、黒澤明の『蜘蛛巣城』がある。もし現代の日本映画界で『マクベス』を映画化するとしたら、いったいどんな段取りにするのだろうと考えながら映画を観ていた。戦国時代は黒澤がやったから、Vシネ風のヤクザ映画にするか、それとも任侠映画か股旅時代劇か、案外サラリーマン社会はどうか?

(原題:Sangrador)


ホームページ
ホームページへ