いつか来た道

2000/12/22 TCC試写室
経済成長を迎えたミラノで別々の人生を歩む兄弟の絆。
日本でも同じような映画が作れそうだけど。by K. Hattori


 イタリア北西部の大都市トリノを舞台に、シチリアから出てきた貧しい兄弟の絆を描くイタリア映画。物語の背景になっているのは、1950年代末から'60年代にかけての高度経済成長期。トリノにはイタリア最大の自動車メーカー“フィアット”があることもあって、'50年代にはイタリア中から大量の労働者が流れ込んできた。'51年には72万人だった人口が、20年で117万人になったというのだから、その人口増たるやすさまじいもの。だがこの間に、ほとんど無一文で町にやってきた労働者たちは、急速に経済的な自立を果たしていく。同時に、急激な人口増は社会のひずみを生み出す。経済成長のダイナミズムによって生じる功と罪だ。

 映画は1958年1月のトリノ駅から始まる。列車から吐き出される大量の出稼ぎ労働者。その中に、この映画の主人公ジョヴァンニもいる。彼はトリノで学校に通っている弟を頼って、はるばるシチリアからやってきたのだ。弟のピエトロは駅まで兄を迎えに来ているが、いざ兄を見つけるとその前に出ていくことができない。弟を愛し、弟を学校に通わせるためなら何でもしてやろうと考える兄と、そんな兄の愛情を受けながらなぜか兄を避けるかのように行動する弟。このふたりのちぐはぐな関係が、この映画の基調モチーフになっていく。

 映画は兄と弟の出会いと別れを象徴的に示す1日のエピソードを数十分ずつ描いては、その1年後、あるいは2年後の兄弟の様子をまた描くという構成。この兄弟の様子を定点観測のポイントに、'58年から'64年までの足かけ7年間を事細かに描写して行く。兄のジョヴァンニは親分肌で目下の者の面倒見がよく、外向的で行動力もあり人に慕われるタイプだが、若い頃に両親を亡くして以来働きづめで、きちんとした教育を受けていない。彼の夢は弟を学校に通わせ、教師にすることだ。ところが弟のピエトロは勉強嫌い。兄が自分に期待する気持ちは十分理解しながらも、その期待が負担になっている。少し意志薄弱なところもあり、誘惑に負けやすい。ひとつひとつのエピソードは短いが、この兄弟の性格付けは明確。時代の大きなうねりの中で、正確も生き方も正反対のこの兄弟が、それぞれの人生を歩んでいく。

 単なる兄弟愛の物語ではなく、主人公たちそれぞれの欠点をしっかり描いているところがいい。あるエピソードで重要な役目を果たした人物が、別の場面ではすっかり消えている不思議。人の出会いと別れの残酷さだ。この映画を観ていると、人間の一生の中で1年という時間がいかに大きな意味を持つものかがよくわかる。たった1年で、人間の生活環境はがらりと変わってしまう。そこにはもちろん社会や環境の変化もある。でもそれによって人間の考え方や行動様式まで変わってしまうのだ。

 この映画に描かれた時代、日本は昭和30年代の急激な経済成長を迎えていた。この映画『いつか来た道』は、同じ構成でそのまま日本版が作れそうな映画だと思う。たぶん面白い映画になるんじゃないかな……。

(原題:COSI RIDEVANO)

2001年1月27日公開予定 俳優座トーキーナイト
配給:オンリー・ハーツ、日本トラスティック


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