ギプス

2001/01/11 映画美学校試写室
ギプス姿で周囲の人々を魅了する若い女の正体は?
監督は塩田明彦だが内容は期待はずれ。by K. Hattori


 シネマ・下北沢で連続上映されるビデオ映画シリーズ「LOVECINEMA」の第5弾は、『月光の囁き』『どこまでもいこう』の塩田明彦監督作品。主演は佐伯日菜子と尾野真千子。最近の佐伯日菜子はすっかり“魔性の女”系列の女優になってしまって、デビュー作『毎日が夏休み』の頃のイノセントな魅力はなくなってしまったなぁ。今回もモロに魔性の女です。佐伯日菜子演じる環は、片足のギプスと松葉杖という姿で町を歩いている。アルバイトをしながら東京で一人暮らしをしている和子は、よろける彼女に手を差し出したことから彼女の部屋に招き入れられ、やがて環の身の回りの世話をするようになる。「靴が脱ぎたい」「ビールが飲みたい」など、和子を召使いのようにあごで使う環だが、和子はそんな彼女にどんどん惹き付けられていく。だが環の留守宅を訪れた和子は、彼女のギプスが単なるポーズであったことを知る。

 ギプスと松葉杖という姿が、周囲の人々の劣情をかき立てる罠になるというアイデアは面白い。ある種の野鳥は、敵の目を欺いて巣から遠ざけるため、わざわざ自分が傷ついた振りをしてみせるらしい。でも環の擬態には、いったいどんな意味があるのか。彼女は自分が傷ついた振りをすることで、周囲の人々が自分に異様な関心を寄せることを知っている。雑誌のグラビアでは健康で明るい女の子が人気を集めているのに、環はギプスと松葉杖で町を歩き、表情はどんよりと暗いし、口調も高飛車でかわいげがない。しかしこのネガティブさが、逆に周囲の人々を虜にしてしまうのだ。彼女が擬態によって周囲にさらしている「弱さ」や「もろさ」「いびつさ」というイコンが、人々の中にある普通の感覚とは別種の欲望を刺激する。それは嗜虐性といった単純なものではないし、弱いものを守ってやりたいという優しい気持ちでもない。もっと歪んで倒錯した欲望だろう。

 この映画の中でぞくぞくするのは、ギプスの中から現れた環の白い脚に、和子の視線が吸い寄せられていくくだりだろう。固いギプスの中から現れる柔らかい肌。秘められていたものが、白日のもとにさらされるエロティシズム。環の脚は性器以上にエロティックな欲望の対象になる。その脚にそっと触れる和子の恍惚とした表情。これに匹敵するシーンが、他にも2つか3つほしかった。

 この映画に僕が物足りなさを感じてしまう原因は、主人公ふたりの人物設定がどこか曖昧なままになっている点にあると思う。和子はテキスト入力のバイトをしているけれど、環はどうやって生活費を稼いでいるのかわからない。和子に日常性を与え、環に生活から乖離した非日常性を与えるのなら、和子の仕事周辺や生活周辺の描写はもっと描き込んだ方がいいと思うし、環の生活風景はもっと浮世離れしていた方がいいと思う。予算がないことも原因だろうが、この映画ではそうしたキャラクターの描き分けが不鮮明で、環と和子が似たような女性に見えてきてしまうのだ。

2001年2月17日公開予定 シネマ・下北沢
配給:シネロケット 宣伝:カマラド


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