ジーザスの日々

2001/01/15 シネカノン試写室
バイクとセックスに夢中な少年の性と死を巡る冒険。
ブリュノ・デュモン監督のデビュー作。by K. Hattori


 '97年に製作されたブリュノ・デュモン監督のデビュー作。同年のカンヌ映画祭でカメラドール(新人賞)を受賞している。タイトルはルナンの「イエスの生涯」から取られているが、映画を観ても「これのどこがイエスの生涯なんだ?」と思うはず。監督なりにルナンの精神を現代流にアレンジしたということらしいのだが、僕はルナンのイエス伝を読んでいないので、比較してどうこうコメントすることもできないし……。

 デュモン監督の映画は一昨年のフランス映画祭横浜で2作目の『ヒューマニティ』を観ている。(この映画は今回『ユマニテ』というタイトルで『ジーザスの日々』と同時期に公開される。配給会社はよくぞこの映画を買ってきたものだ。偉い。)それと比較すると、『ジーザスの日々』の方が取っつきやすい作品になっていると思う。冬から翌年の秋にかけての時間の中で、ひとりの若者が少しずつ破滅に向かって歩んでいく物語だ。観ていて愉快な話ではないが、物語の構成はシンプルで力強い。

 主人公フレディは失業中だ。学校を卒業しても就職するわけでなく、失業保険で食いつないでいる。生活は酒場を経営する母親とのふたり暮らし。地元のブラスバンドに所属し、趣味は小鳥を飼うこと。しかし彼が今夢中になっているのは、仲間たちと一緒に町の近郊を原チャリで走り回り、ガールフレンドのマリーと所構わずセックスにふけること。いつか町を出て大都会に出ていくのが夢だが、なかなかその機会は訪れない。

 映画はいつも「死」の予感に付きまとわれている。映画の導入部では、フレディの持病であるてんかん発作が描かれる。フレディの友人の兄は、エイズで死の床にある。病室にかけられている「ラザロの復活」の絵。幾度か繰り返される激しいセックスシーン。てんかん発作やセックスのオルガスムスは、主人公を「小さな死」へと誘い込む。フレディは生活の中で「死と再生」を繰り返している。一方は激しい苦痛を伴い、一方は激しい歓喜の中で迎える死と復活。バイクでの暴走や、対向車に向かって突っ走るチキンレースなどのシーンも、危険な死の香りをこの映画の中に持ち込んでいる。こうして映画の中に潜在化している「死のイメージ」が、いつ顕在化するかがこの映画のクライマックスだ。フレディの中から現れる突発的な暴力衝動は、表面的には人種的な偏見や差別に根があるのかもしれない。しかし映画を観ている人なら、この暴力の原因がそれだけではないことを知っている。フレディを包んでいるありとあらゆる不条理が、矛盾が、死の予感が、彼を暴力へと駆り立てる。

 フレディ役のダヴィット・ドゥーシュは、白目の部分が小さくて目の表情が読みにくい俳優。『ヒューマニティ』の主演俳優もそうだったが、デュモン監督はこういう特徴的な目を持つ俳優が好きらしい。恋人と愛し合うときも、暴力衝動に突き動かされているときも、まったく目からは表情が読めない。普通の映画なら決して主役になれないタイプの俳優だろう。

(原題:LA VIE DE JESUS)

2001年5月公開予定 BOX東中野
配給:ビターズ・エンド


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