ユマニテ

2001/01/15 シネカノン試写室
ブリュノ・デュモン監督は本作でカンヌのグランプリ受賞。
少女強姦殺人事件がドラマの発端。by K. Hattori


 一昨年のフランス映画祭横浜で『ヒューマニティ』というタイトルで上映された、ブリュノ・デュモン監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作。主演のエマニュエル・ショッテとセヴリーヌ・カネルが、主演男優賞と女優賞をそれぞれ受賞した。小さな町で起きた少女強姦殺人事件の捜査と、事件を担当する地元警察のド・ウィンテル刑事、彼が秘かに思いを寄せている近所の女性ドミノ、彼女の恋人ジョセフの三角関係を描いている。僕はこの映画を映画祭で観たとき、ひどく暗く憂鬱な映画だと思ったのだが、今回監督のデビュー作『ジーザスの日々』と続けてこの映画を観てだいぶ印象が変わった。

 僕は『ジーザスの日々』のどこが「イエスの生涯」なのかさっぱりわからなかったのだけれど、『ユマニテ』は『ジーザスの日々』の別バージョンであり、同時に紛れもなく「イエスの生涯」を描いた作品なんだと思う。他人の痛みに共感して涙を流し、それでいて相手を抱きしめる以外にどんな手助けもしてやることができないド・ウィンテルは、デュモン監督なりのイエス像なのではないだろうか。彼がイエスであることは、美術館のシーンでかなりあからさまに観客に宣言されている。ド・ウィンテルの傍らに置かれているのは、イエスの生誕を描いた絵であり、その次の場面で出てくるのは磔刑から降ろされた死の場面を描いた絵。この2枚の絵でイエスの全生涯が表されるわけだが、ド・ウィンテルはその絵にはさまれながら、老画家の自画像と少女の絵を見ている。死と生の対比。聖なるものと俗なるものの対比。

 『ジーザスの日々』のフレディとマリーの関係は、『ユマニテ』の中でジョゼフとドミノの関係として再現され、そこにド・ウィンテルを加えて再構成される。『ジーザスの日々』ではアラブ人の少年カデールに与えられている役目が、ド・ウィンテルに与えられているのは明らか。マリーがカデールを性的に挑発するシーンは、そのままドミノのド・ウィンテル誘惑という形で再現される。この2本の映画は、まるで双生児のようだ。

 デュモン監督は映画より絵画や美術に造詣が深いそうで、この映画の中には絵画的な構図のシーンが多い。映画の冒頭に登場する少女の遺体はマルセル・デュシャンの遺作そのものだし、バスを降りたふたりの少女が家路をたどる後ろ姿は有名な写真家の作品を連想させる。そして映画の中に登場する風景の美しさ。自然はかくも美しいのに、そこに暮らす人間たちの生活は腐りきっている。人間たちはただ自らの罪を思って涙を流すしかない。「イエスの生涯」をバックボーンにしながら、この映画からは宗教的な要素が完全に排除されている。主人公たちの住まいのすぐそばには大きな教会があるのに、この映画の登場人物たちは誰も教会に足を踏み入れはしない。ドミノが教会の中をちらりと横目で見て前を通り過ぎるシーンは、この映画が宗教的な救済を求めないという監督からの意思表示だろう。現代人はもはや宗教では救えない。しかしそこは何と荒涼とした世界だろうか。

(原題:L'HUMANITE)

2001年5月公開予定 ユーロスペース
配給:ビターズ・エンド


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