博奕打ち・総長賭博

2001/01/27 新宿昭和館
昭和43年に製作された東映任侠映画の最高傑作。
義理と人情の矛盾をとことん突き詰める。by K. Hattori


 昭和43年に製作された鶴田浩二主演の東映任侠映画。公開当初は興行的にあまりヒットしなかったそうだが、作家の三島由紀夫が絶賛したことでも知られ、今では東映任侠映画の最高傑作と評されることも多い。主演の鶴田浩二にとっては、この映画と『明治侠客伝・三代目襲名』が任侠映画の代表作。相手役の若山富三郎はさまざまな映画会社を渡り歩いた不遇の時代が長かったのだが、この映画で一気に東映のスターに仲間入りしたのだと思う。監督の山下耕作にとっても『関の彌太っぺ』と並ぶ代表作だが、当人は撮影中にどれほどそうした意識を持っていたかはわからない。脚本は後に『仁義なき戦い』シリーズを書くことになる笠原和夫。

 やくざ映画の中心テーマは「義理と人情」だが、おそらくこの映画ほどにそのテーマを突き詰めた作品はないと思う。社会の裏街道を歩く身なればこそ、通さなければならないケジメや筋目というものがある。それを体現するのが鶴田浩二扮する中井だ。親分が倒れたとき跡目相続人に推挙された中井は、「自分はよそから流れてきたのを親分に拾ってもらった外様の身。跡目は兄弟分の松田が継ぐのが筋だ」と固辞する。だが松田はその時獄中にいる。叔父筋になる仙波の提案もあり、跡目は中井や松田の弟分である石戸が継ぐことに決まった。出所した松田はこれに我慢できない。跡目は中井が継ぐのが当然だし、中井が固辞しても石戸が継ぐ筋合いはないと言うのだ。中井がどうしてもと断るのなら、自分のところに話が来るのが筋だろう。松田の言い分はいちいち筋が通っているが、一度幹部会が決定し、全国の親分衆に案内も出している手前、これを覆すことはできない。

 渡世人としての筋目を通すこと、一度決定されたことは黙って飲み、あとで文句を言わないことはつまり「義理」の問題だ。しかしそうした決定に従うのは過去の恩情に背くことになるから受けられない、人間として、男として引き下がれないと考えるのは「人情」だ。義理を優先して人情知らずの男として生きるか、人情を優先して渡世の義理に反するのか、この映画の男たちはぎりぎりの選択を迫られ、その間で苦しみ抜く。

 義兄弟である主人公と反目してまでやくざ社会の掟に反逆し、組織に刃向かおうとする松田は、普通のやくざ映画なら明らかに悪役だ。しかしこの映画はそんな松田にも、十分な言い分と彼なりの正しさがあることを示している。もし主人公の中井が松田側の主張に加勢したら、形成は一気に逆転してそれなりのハッピーエンドを迎えた可能性だってある。しかし中井はそれができない。松田に味方したいと思っても、渡世の義理を彼は優先する。しかしそれは人情知らずの人でなしになることだ。彼はそこまで追い込まれる。追い込まれた彼の苦悩を観客がみんな知っているからこそ、彼の最後の台詞「任侠の道なんて俺はしらねえ。俺はただのケチな人殺しよ!」という台詞が、切れば血の出るような生きた言葉になって観客の胸にグサリと突き刺さる。地味な映画だが傑作。



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