青空
AOZORA

2001/01/31 TCC試写室
さしたる理由もなく恋人を殺した不良少年のひとり語り。
監督はサトウトシキ。脚本は小林政宏。by K. Hattori


 成人映画館では『果てしない欲情/もえさせて!』というタイトルで公開されているサトウトシキ監督作品。脚本は過去に何度もコンビを組んでいる小林政宏。一応はピンク映画という枠内で作られている作品だが、劇中に登場するセックスシーンはどれも即物的で、観客にほとんど劣情を感じさせることがないと思う。若い男が早朝の亀有商店街を、若い女の生首を持ってうろつくというオープニングもかなり異様だが、映画はそこから回想になり、順一という名のこの若い男が、なぜ恋人だった久美子を殺さなければならなかったのかを淡々と描いていく。画面にかぶさる順一のモノローグが印象的。たぶん劇中に登場する「台詞」の半分近くがこのモノローグだと思うのだが、まるっきり感情のこもっていない下手くそな棒読み。しかしこの感情の欠如が、映画にただならぬ迫力とリアリティを生み出すことになる。

 順一を演じている向井新悟という若い役者は、たぶんそんなに上手い人じゃないと思う。それは本来なら芝居をしてもよさそうな場面で、この役者がまったく演技らしい演技をしていないことからも伝わってくる。どうしようもなく台詞がぎこちない。身体の動きも不自然に間延びしている。しかしこの映画は、順一役にどんな感情の変化も、凝った台詞の言い回しも要求しない。順一は周囲に対して無感動。ただダラダラと生きている。役者の不器用さと、映画の描き出す世界の中にしっくりと収まっていない違和感のようなものが、そのまま主人公である順一の不器用さと彼の不適合を表現しているようにも思えるのだ。順一に比べれば、それ以外の人たちはすごく芝居が上手い。演技が板に付いている。しかしそれよりも、映画の中から明らかに浮き上がった順一の存在がこの映画では光っている。

 彼は世界の中に自分の居場所がないのだ。周囲の人たちはそれなりにつまらない世界の中に適応して生きているのに、彼だけはいつそこからこぼれ落ちてしまうかわからない不安定さを常に持っている。順一がこの映画の中で唯一映画的なリアリズムの中に入り込めるのは、彼が何もかも忘れてマラソンに没頭しているときと、セックスしているときだけ。しかしこの両方が彼から失われた時、とうとう彼は映画の舞台から滑り落ちる。

 事件を回想形式で本人が語るという構成は、同じ監督・脚本コンビの『迷い猫』と同じ。しかし『青空』の中では、主人公の順一が一体誰に向かって事件のあらましを語っているのかがまったくわからない。ひょっとしたらこのモノローグは、早朝の町をさまよう彼の心に浮かんだ、語る相手のいない独り言なのかもしれない。

 登場する場所がどれも東京中心部ではなく、かといって地方でもないという中途半端な場所になっているのも、主人公順一の心情をよく表している。ヒロインであるはずの久美子も影が薄い。これは順一にとって、側にいる女性が久美子でなければならない必然性がないからだろう。今どきの恋愛風景をうまく描いた映画だと思う。

2001年4月20日公開予定 中野武蔵野ホール
配給:国映、新東宝


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