サトラレ
TRIBUTE to a SAD GENIUS

2001/02/06 東宝第1試写室
考えることが周囲に筒抜けになるサトラレを巡る悲喜劇。
本広克行監督による異色ファンタジー。by K. Hattori


 『踊る大捜査線 THE MOVIE』の本広克行監督最新作。前作『スペーストラベラーズ』があまりにもひどいデキだったので今回もあまり期待せず試写を観たのだが、今回はまずまずの映画になっていた。ただしこれで2時間10分という上映時間は長すぎる。この程度の内容なら、エピソードを整理して1時間50分以内に収めてほしい。もっともこれは本広監督の資質云々ではなく、脚本の問題だと思う。映画の前半はそれほど悪くもないのだが、後半になると物語をどう収束していいのかわからないまま、ぐずぐずになってしまった印象だ。

 「サトラレ」というのは乖離性意志伝播過剰障害の俗称で、考えていることや思っていることを口にしなくても、周囲に思念が漏れ出してしまう人のことを言う。一種のテレパシー能力だが、本人の意志に関係なく思考が外に漏れてしまうのだ。どういうわけかサトラレは例外なくIQ180以上の天才ばかり。このため国はサトラレを国家財産として厳重に保護管理し、サトラレ本人には自分がサトラレであることを知られないようにしている。誰だって自分の頭の中身が周囲に筒抜けで、プライバシーゼロなんて状態には堪えられないからだ。この映画の主人公里見健一も、そんなサトラレのひとり。彼は地方病院で外科医として働いているが、国は彼に臨床医ではなく、新薬開発の研究スタッフになってほしいと考えている。彼を説得するため、防衛庁の精神科医小松洋子が健一のもとに送られるのだが……。

 主人公のプライバシーがすべて周囲に筒抜けになっているのに、それを知らぬは本人ひとりだけという設定は、ジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』に似ている。主人公に真相がばれないように周囲を厳重にガードするドタバタぶりは、かなり面白く見ることができる。サトラレがいかに周囲に混乱をもたらすか、サトラレが恋をすることがいかに困難かなど、映画の中盤まではエピソードのつながりもスムーズだ。しかし問題は終盤だろう。『トゥルーマン・ショー』では主人公が自分の境遇を悟り、自分を監視し同時に保護する閉鎖環境から外に飛び出そうとするわけだが、この映画の場合はその点を曖昧なまま物語を終わらせてしまう。主人公は人並みの恋をすることができるのか? 主人公は政府の思惑通り、新薬研究の道に進むのか? 主人公はその後も自分がサトラレだと知ることなく、平穏無事に生き続けることができるのか? それは不明なままだ。

 人は誰でも正直に生きたいと思っている。隠し事をせず、自分を飾らず、正直に自分自身の素顔をさらして生きながら、なおかつ他人に愛されたらどんなに幸福だろう。でも人はそれほど勇気がない。自分を飾る。自分自身を偽る。そうしなければ生きていけない弱い存在なのだ。そんな人間のジレンマをサトラレという存在を通して浮き彫りにしていければ、この映画はもっと奥行きのあるものになったと思う。一応台詞にはあるんだけど、それをエピソードで観客に提示してほしかった。

2001年3月中旬公開予定 全国東宝洋画系
配給:東宝


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