Candy Lover Girl

2001/02/14 映画美学校試写室
マッサージパーラーで働く女性たちの友情物語。
主人公キャンディは16歳の女の子。by K. Hattori


 一昨年の東京国際映画祭協賛企画「カネボウ女性映画週間」で、『Lover Girl』というタイトルで上映された映画。母親の家出でひとりきりになった16歳の少女が、自活するためマッサージパーラーで働き始めるという物語だ。マッサージパーラーというのは日本で言えばファッションマッサージかファッションヘルス(両者の違いが僕にはいまいちよくわからないのだが)みたいなもので、本番行為こそないもののれっきとした風俗産業。この映画はその裏側を、働く女性たちの視点で描いている。監督・脚本はリサ・アッダリオとジョー・シラキューズ。大学の同級生だったふたりはこの映画の後で結婚し、リサ&ジョー・シラキューズになった。兄弟で監督をしているとか、夫婦で製作者と監督と脚本を分業しているというケースは多いが、夫婦で共同監督というのは珍しい。昨年には長女も誕生したそうで、めでたい限り。

 僕は2年前にも1度この映画を観ているので、今回はお話の面についてはあまり新鮮さを感じなかった。これは当たり前の話。前回はあまり気にならなかったんだけど、主人公のキャンディ(ジェイク)が不用意に姉に金を見せびらかすシーンは気になってしまった。姉のダーリーン(チェリー)がどんな仕事をして生活しているのかも、ちょっと気になる。ずっと部屋の中にいて男出入りもないようだし、一体彼女は何で現金収入を得ているのだろうか。この映画はそうした肝心なところを、何となくボンヤリ描いてしまう。一事が万事なのだ。

 例えばこれはすごく大事なシーンだけれど、ジェイクが初めてマッサージパーラーの仕事を盗み見るシーンがある。マーシー(エンジェル)は客とプールの話をしながら同時に彼のペニスをしごいているのだが、これは注意していないとよくわからない。よく見るとマーシーの右肩がリズミカルに動いているんですけど、肝心の所はよく見えないのだ。このシーンのカメラはジェイクの視点だから、この後でジェイクが働きたいと言い出したとき、はたして彼女がこの店の仕事の内容をちゃんと理解しているのかどうかすごく不安になってしまう。もちろん僕は、客のペニスまで見せろと言っているわけではない。マーシーの仕事ぶりは、せめて彼女のヒジぐらいまで見せた方がよかったんじゃないだろうか。この映画はその後にジェイクの台詞で店の仕事の内容を説明するけれど、肝心のシーンが1個所でもあるかないかで、この台詞が生きるか死ぬかが決まってくると思うけどな。

 ジェイクは年がら年中さまざまなキャンディを口に入れているという設定。これは彼女がまだまだ子供であることを象徴的に描いている。映画のラストシーンで、彼女はキャンディと縁を切る。同時にこの映画の中で、彼女の姿勢が妙に不安定で怪しげなことも印象に残る。歩き方や立ち姿がフラフラしていて、手も足も首の向きも、自分でどうすればいいのか迷っている様子なのだ。つまりはこの中途半端さが、彼女の成長過程を表しているのだろう。ラストシーンでは彼女も颯爽と歩いてます。

(原題:Lover Girl)

2001年4月14日公開予定 シネセゾン渋谷
配給・問い合わせ:ザナドゥー


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