DOWNTOWN81

2001/03/15 メディアボックス試写室
バスキアがアートシーンでブレイクする直前に主演した映画。
フィクションだが人物設定はバスキア本人かも。by K. Hattori


 ジュリアン・シュナーベルの映画『バスキア』のモデルとなった80年代のグラフィティ・アーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアが主演した劇映画。撮影されていたのは'80年から'81年にかけてだが、予算不足などから製作が中断してフィルムも行方不明。それを'98年に発掘(?)して、2000年に完成した映画だという。バスキアにきちんとしたディーラーがついてアーティストとして成功するのは'81年から'82年頃だから、この映画に出演していた当時のバスキアはまだアーティストとしてまったく無名の時期。スプレー缶片手に街の壁に奇妙なメッセージを書き込んでいるバスキアの姿は、今となってはかなり貴重な映像資料かもしれない。

 僕は'80年代半ばにデザイン学校の学生をしていたが、その頃には既にバスキアもニューヨーク・アートシーンの有名人だった。同時期のアーティストとしてはキース・ヘリングがいる。ケニー・シャーフがいる。ウォーホルもまだ生きていた。草月会館でグラフィティ・アートの展覧会があったとき、僕も学校の友人たちと見に行ったものです。バスキア、ヘリング、シャーフらが内装を施したニューヨークの巨大ディスコ“パラディアム”が話題になったのも、ちょうど同じ時期だった。ところがそのわずか数年の内に、ウォーホルも、バスキアも、ヘリングも死んでしまった。今となっては昔話です。

 この映画はバスキアが出演している劇映画で、内容はフィクション。家賃滞納でアパートを追い出された主人公ジャンは、友人を頼って街を放浪する。だがどうにも間が悪くて、誰も彼を助けてくれない。あちこちのクラブに顔を出しながら、ジャンは夜のニューヨークをさまよい続ける。そして最後は、あっと驚くハッピーエンド。主人公が売れないグラフィティ・アーティストという設定になっていることや、役名がジャンであることも手伝って、物語そのものはフィクションにせよ、主人公の設定自体はバスキア本人のキャラクターをかなり忠実になぞっているような印象を観客に与えるはず。フィクションとノンフィクションの間にある薄い皮膜を、この映画の中のバスキアはいとも簡単に突き破って観客の前に迫ってくる。こうしたリアリティは、シュナーベルの作った伝記映画からは決して伝わってこなかったものだ。

 映画の4分の3ぐらいは主人公ジャンの物語で、残り四半分は当時活動していたさまざまなバンドの演奏シーンになっている。これがまた、'80年代初頭の音楽シーンをクリッピングしているようで面白い。キッド・クレオール&ザ・ココナッツは日本の米米クラブの原型になったようなバンドで、今見ても相当に格好いい。日本のバンド、プラスチックスが突然登場するのにもびっくりするやら懐かしいやら。この頃は当たり前だけれど立花ハジメも若かった。デボラ・ハリーも奇妙な役で登場し、大いに笑わせてくれます。バスキアも立花ハジメもそうだけど、この頃は音楽とアート(あるいはデザイン)の世界がびっくりするぐらい近い距離にあったんだなぁ。

(原題:DOWNTOWN81)

2001年4月28日公開予定 シネマライズ(レイトショー)
配給・問い合わせ:キネティック
ホームページ:http://www.kinetique.co.jp/


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