クイルズ

2001/04/25 フォックス試写室
マルキ・ド・サドの晩年をジェフリー・ラッシュが演じるコスチューム劇。
脚本か演出のどこかにボタンの掛け違いがある。by K. Hattori


 「ソドムの百二十日」「ジュリエット/悪徳の栄え」などの作品で知られるフランスの作家マルキ・ド・サドは、“サディズム”や“サディスト”という言葉のもとになった人物として知られる。彼は貴族の身でありながらその性癖と創作活動によって、人生の多くの時期を刑務所や精神病院の中で過ごしている。この映画は彼が晩年を過ごしたシャラントンの精神病院を舞台に、飽くなき創作意欲に駆り立てられるサド侯爵と、それを抑圧しようとする皇帝や病院長などの権力者たちがいかに戦ったかを描いたドラマ。サド侯爵を演じているのは『シャイン』のジェフリー・ラッシュ。彼を慕って外部との連絡役をしている小間使いマドレーヌ役は、『タイタニック』のケイト・ウィンスレット。病院の理事長でサドに寛大な処遇を与えているド・クルミエ神父役が、『グラディエーター』のホアキン・フェニックス。サドと対立する病院長ロワイエ・コラール博士がマイケル・ケイン。原作はダグ・ライトの同名戯曲で、映画用の脚色もライト本人が担当。監督は『存在の耐えられない軽さ』『ヘンリー&ジェーン』のフィリップ・カウフマン。

 映画の中の人物配置はきわめてシンプル。主人公のサド侯爵は精神病院に幽閉の身で、己が心に沸き上がる暴力衝動を創作活動に振り向けること生きている。彼は間違いなくサディストだが、そのサディズム嗜好が実際の行動に移されることはない。彼のサディズムは執筆活動の中に昇華される。思想や表現としてのサディズムだ。そこでは1滴の血も流されることはない。サド侯爵と対立する病院長のコラールはそれとは反対。彼は治療名目で患者を拷問にかけることを喜びとし、少女のような幼妻を広大な屋敷の中で飼い殺しにしながら夜な夜な性の慰み者にするサディスト。創作活動とは無縁だが、彼の嗜好や趣味によって実際に苦しむ者は多い。心の闇を露わにするふたりの人物。その間に挟まって、神の光を信じる理想主義者のド・クルミエ神父がいる。サドとコラールの対決は、いわば近親憎悪のようなもの。ふたりに接することで自らの心の闇をのぞき込んだ若い神父は、それまでの人生観を一変させることになる。

 物語の骨組みはしっかりしているし、美術や衣装も素晴らしい。しかし僕はこの映画が面白いとは思えなかった。サドとコラールが抱えている心の闇の暗さと深さが、この映画の中できちんと描かれているとは思えない。映画は筋立てを追いかけるだけで、「誰もが心に抱えている心の闇」というテーマが少しも浮かび上がってこないのだ。役者たちは自分たちのできる範囲で最高の芝居をしていると思うだけに、これはちょっと残念だった。

 精神病院での反逆児、戯曲の映画化、表現の自由を求めての戦い、近親憎悪による迫害……。この映画の成り立ちを考えると、監督に適役だったのは『カッコーの巣の上で』『アマデウス』『ラリー・フリント』のミロス・フォアマンだったと思う。『ライト・スタッフ』のカウフマン監督に、心の闇は描けなかったのか?

(原題:Quills)

2001年5月19日公開予定 スカラ座2他・全国東宝洋画系
配給:20世紀フォックス
ホームページ:http://www.foxjapan.com/movies/quills/


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