ラッチョ・ドローム

2001/04/27 徳間ホール
トニー・ガトリフ監督が描くロマ(ジプシー)音楽のすべて。
見ごたえのある音楽映画。僕は大好き。by K. Hattori


 『ガッジョ・ディーロ』や『ベンゴ』などの作品で、自らの身体に流れるロマ(ジプシー)の血統にこだわり続けるトニー・ガトリフ監督。彼が『ガスパール、君と過ごした季節』の後に撮った“ロマ映画”の原点が、この『ラッチョ・ドローム』だ。今から千年以上前、インドを出発したロマ民族の祖先は数百年かけて西へ西へと移動し、地中海にぶつかると南北に分かれてさらに西へと進む。そして最後にたどり着いたのは、スペインのアンダルシア地方。この映画はインドからスペインに至るロマ民族の旅を、ロマ民族に伝わる音楽と踊りを通して描く一種のドキュメンタリー。ただし個々のシークエンスは細かくカット割りしてあるし、そこに挿入されているエピソードも明らかにお芝居。小さなフィクションを積み重ねて、全体としてはノンフィクションになっているという、ちょっと不思議な映画なのです。

 台詞はほとんどなくて、歌と踊りと人々の移動シーンで全体をつないでいく構成。歌の場面で字幕が少し入るけれど、それでも字幕化されているのは全体の半分以下だと思う。この映画が重視しているのは、登場人物たちが何を語っているか、どんな意味の歌詞なのかではない。アジアからヨーロッパにまで広がった“ロマ”という民族の共通資産である音楽そのものが、この映画のテーマになっている。ロマの暮らす地域はじつに広い範囲に散らばっているが、こうして全体を俯瞰してみると、歌の発声、節回しや独特の和声、手拍子や打楽器を使った強烈なリズム、ダンスで見せる手の使い方や足を踏みならす仕草などに、どれも共通点があるように思える。映画ではこうした共通点を強調する演出が施されているから、僕のような音楽の素人でも「ああ、ロマは音楽でひとつにつながっている」ということがすぐにわかる。

 ロマと一口に言っても、住んでいる土地によって暮らしぶりはまったく違う。宗教が違うし服装も違う。話す言葉ももちろん違う。でもそれらを“音楽”というフィルターを通してみると、すべてつながって見えるのだ。映画の中でドラマがひとつの場所から別の場所につながる時、音楽を少しずつオーバーラップさせて次の演奏シーンにつなげているが、そこにはほとんど違和感がない。全体がひとつの巨大な変奏曲のようになっている。

 映画の視点を形作っているのは、ロマの音楽を聴き、伝承していく少年の姿だ。それは映画の冒頭から結末まで変わらない。演奏シーンには男もいれば女もおり、大人も子供も混ざっている。こうしてロマの音楽は大人から子供へと、世代を越えて伝承されていく。街角で太鼓を叩く子供から楽器を取りあげた男が、さりげなく新しいリズムを子供に教えるシーンがある。子供は男の腕前にすっかり感心し、見よう見まねでそのリズムを練習しはじめる。こうしてロマの音楽は伝えられていくのだ。

 ガトリフ監督の『ベンゴ』の冒頭には、スペインとエジプトの音楽家が共演するシーンがあった。『ラッチョ・ドローム』はその原型となった映画なのだ。

(原題:Latcho Drom)

2001年6月下旬公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給・問い合わせ:ケイブルホーグ
ホームページ:http://www.cablehogue.co.jp/


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