シャドウ・オブ・ヴァンパイア

2001/07/10 日本ヘラルド映画試写室
『吸血鬼ノスフェラトゥ』には本物の吸血鬼が出演していた。
吸血鬼役のウィレム・デフォーが最高におかしい。by K. Hattori

 1921年。ブラム・ストーカーの怪奇小説「ドラキュラ」を映画化しようとしたドイツの映画監督F・W・ムルナウは、正式な映画化権を取得することに失敗。タイトルを「ノスフェラトゥ」に変更し、吸血鬼の故郷をルーマニアからチェコに、舞台をロンドンからブレーメンに移し替えて映画製作を続行する。1922年に完成した『吸血鬼ノスフェラトゥ』はサイレント映画が生み出した傑作であると同時にドラキュラ映画の最高傑作として、現在でもカルト的な人気を誇っている。この映画はその伝説的映画が製作されるに至る舞台裏を、史実とファンタジーを交えて映画化したものだ。この映画の最大のアイデアは、ムルナウが吸血鬼役に発掘したマックス・シュレックという俳優が、じつはチェコでスカウトされた本物の吸血鬼だったというもの。ムルナウを演じているのはジョン・マルコビッチ。シュレックと名乗る本物の吸血鬼を演じているのはウィレム・デフォー。

 伝説の映画に隠された驚天動地の製作秘話というアイデアは物凄く面白いのだが、それが脚本段階で練り上げられないまま思いつきレベルに留まってしまった感じがする。一番の問題は映画史に材を取ったこの映画と、実際の映画史との齟齬をどう埋めていくかという作業がおろそかになっている点だろう。例えばこの映画の中で「本物の吸血鬼」と言われているシュレックは、『ノスフェラトゥ』の後も数々の映画に出演しているのです。これについて映画の中では何の説明もなされていない。他の人物についても同じようなことが言える。こんなものは脚本の段階で少し工夫すればいくらでも史実と辻褄を合わせることが可能なのに、そうした工夫がまったくないまま物語が史実から逸脱してしまうのは残念。歴史に素材を求めるなら、映画の最後にきっちりとドラマが歴史の範囲内に収まるか、あるいは深作欣二の『柳生一族の陰謀』のように「史実なんて知ったことか!」と開き直るしかない。この映画はその点が少し中途半端です。

 こうした史実との整合性に目をつぶっても、この映画にはあちこちに弱さが目立つ。映画作りにかけるムルナウの狂気じみた情熱が物語の柱になっていないし、吸血鬼の太陽への羨望が台詞で語られながら、そこからエピソードが膨らんでいかない。『吸血鬼ノスフェラトゥ』ではシュレックのメイクでネズミを意識していると思うのだが(吸血鬼はペストなど疫病の象徴で、疫病を媒介するのはネズミ)、映画の中にはネズミがほとんど登場しなかったのも少し気になった。映画作りが生み出すお祭り騒ぎのような躁状態がもっと全面に出てくると、その背後にある吸血鬼の薄暗さが際だったとも思う。

 しかしそれでも、この映画は面白い。その面白さはウィレム・デフォーの怪演ぶりに尽きる。これだけでも映画館で入場料を払う価値があるだろう。シュレックの吸血鬼ぶりを見た映画スタッフが「すごい役者魂だ!」と感心するシーンには大笑い。このあたりはまるでコントですが、コントは大まじめに演じた方が笑えるのです。

(原題:SHADOW OF THE VAMPIRE)

2001年8月11日公開予定 シネ・アミューズ
配給:日本ヘラルド映画 宣伝・問い合わせ:楽舎

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