ダンボールハウスガール

2001/08/20 映画美学校第2試写室
ホームレスを妙に小ぎれいに描いたファンタジー映画。
テーマは明快だが具体的なエピソード不足 。by K. Hattori

 '97年の新潮文学新人賞を受賞した萱野葵の小説「段ボールハウスガール」を、米倉涼子主演で映画化。監督は『人でなしの恋』『デボラがライバル』の松浦雅子。脚色は監督自身と『きみのためにできること』『あしたはきっと…』の高橋美幸。製作はチームオクヤマの佐々木亜希子。美術は『萌の朱雀』『STEREOFUTURE』の吉田悦子。要するにこれは、かなり意図的に作ったガールズ・ムービーなのだ。渋谷QFRONTが製作する「QFRONTムービー」の第1弾ということだが、そのくせ公開劇場は池袋の新文芸坐。新文芸坐はこの映画公開を期に名画座路線を早くも放棄し、単館系ミニシアターに転身するようだ。やっぱり名画座はダメか!(文芸坐最終上映には馳せ参じた僕も、新文芸坐には一度も足を運んでないしなぁ。記念パンフには寄稿したのに。)

 主人公の桜井杏はつまらないOL生活に耐えて500万円を貯めると、さっさと会社を辞めて恋人とアメリカに行こうとする。銀行から全財産を引き出し、会社も円満退社し、住んでいた部屋も引き払い、いよいよアメリカと思った矢先、彼女は空き巣に全財産を盗まれてしまう。彼氏が自分と別の女との二股状態だったことも発覚。所持金数千円とトランクひとつの荷物を持って、杏は町に放り出されてしまう。行き着いた先がダンボールハウス村だった。原作は未読だが、映画版はずばりファンタジーだと言い切れてしまう仕上がりだ。映画なんて所詮はファンタジーだし、20代半ばの女性がある日突然ホームレス生活を始めるという話だってファンタジーでしかない。だからそれをあえてリアリズムにせず、ファンタジーにしたのは別に構わない。しかしこの映画はヒロインの行動や視点を通して、何を描きたかったのだろう。それが僕にはピンと来なかった。

 杏は何か明確な目的があってアメリカを目指しているわけではない。しかしすべて失ってダンボール生活を初めても、そこから彼女が目指すのは日常への復帰ではなく、やはりアメリカなのだ。要するに彼女は日本が嫌いなのだろう。日本という社会が約束してくれる安全や安心や生活の保障と引き替えに、自分の本当の生き方が押しつぶされてしまうことに耐えられない。だから彼女は日本社会そのものを拒絶する。その結果がダンボールハウス暮らしに繋がる。日本社会に同化することができず、かといって外側に飛び出すこともできない中途半端さ。それが川縁のダンボール村という場所で象徴されているのだろう。でも僕はこの映画をどう観ても、主人公の「日本は嫌だ!」という気持ちに共感できなかった。ここでは具体的に日本のどこがどう嫌なのかが、ちっとも描かれていない。これでは「日本は嫌だ!」という主張も、単にヒロインの気分の問題としか思えない。

 映像や音楽の使い方も含め、中途半端な岩井俊二映画みたいな雰囲気。塀の上を歩くシーンは『PiCNiC』だろう。この映画も岩井俊二の映画同様、賛否両論に別れると思われる。そして僕は当然のように否定派である。

2001年10月上旬公開予定 シネ・アミューズ、新文芸坐
配給:シネカノン、Qムービー
(上映時間:1時間40分)

ホームページ:http://www.qfront.co.jp/qfmovie/dan-ball/index.htm

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