人らしく生きよう
国労冬物語

2001/09/28 映画美学校第2試写室
旧国鉄内で最大労組の国労がJR発足で辛酸を舐めさせられる。
苦しさはわかるが、そこに至った背景が見えてこない。by K. Hattori

 僕はもともとグラフィックデザイナーだった。昭和という元号を聞くだけで今からひと昔以前の話になってしまうのだが、僕が最初の会社に就職したのが昭和62年。この頃はバブル経済の真っ最中で、世の中の景気は天井知らずにうなぎ登りだった。この年の重大ニュースのひとつに、国鉄の分割民営化がある。じつは僕が入社した会社ではJRのCI計画を担当していて社内は上よ下よの大騒ぎ。僕も入社前の2月頃から、アルバイトの下働きとして加勢にかり出されていたのだ。そんなわけで、国鉄民営化は僕の人生の節目とも重なり合う大事件だった。(ちなみにこの会社を辞めたのは昭和天皇崩御の直後。これもまた、忘れられない事件となった。)

 僕は国鉄分割民営化にデザイナー(の下働き)という立場でほんの少し関わったわけだが、このドキュメンタリー映画は、同じ出来事を国鉄内部で迎えた人々の人生を追いかけている。取材対象になっているのは、国鉄内最大の組合員数を誇り、戦後日本を代表する労組でもあった国労(国鉄労働組合)に所属する国鉄マンたち。国鉄にはいくつかの労組があったのだが、国労はその中でも最も勢力が大きく、数々の闘争で経営者側と対立してきた歴史を持っている。国鉄にとって国労は不倶戴天の敵、目の上のたんこぶ。国鉄は分割民営化で職員を大量リストラする機会に、国労潰しを目的とした徹底的な切り崩しと弾圧を行った。

 この映画を観ていると、国鉄やJR、ひいてはその背後にいる国がやったことの汚さやえげつなさがよくわかる。権力というのは、時にこんなあこぎなことも平気でやるのです。国もJRもひどすぎる。しかし僕はそれでも、この映画に釈然としないのです。国鉄分割民営化はバブル経済の真っ最中。日本中のあらゆる産業で人手が足りず、人件費も極端に高騰していた。国鉄から首を切られても、再就職しようとすればいくらだって働き口はあったはずです。なまじ「不当解雇の撤回を!」という正論にこだわったあまり、彼らは働き口を探す機会を失ってしまったのではないか。国労は国鉄の分割民営化にすら反対していたし、余剰人員の整理にも全面的に反対していた。こうした主張は労組の主張としては正しかったかもしれないが、大量の赤字を垂れ流し続けていた国鉄が、分割民営化なしに再生できたのだろうか? 国鉄はJRになって運賃の値上げも止まり、サービスもよくなった。これは事実ではないのか。

 国労を取り巻く社会情勢の変化も大きかった。平成元年にはベルリンの壁が崩壊。国労は社会党系の組合だったが、社会党はJR発足と時を同じくしてじりじりと現実路線に方向転換。平成5年には土井委員長が衆院議長になり、翌年には自民党と連立して与党になってしまう。これで社会党は完全に骨抜きになって、それに引きずられるように国労本部も当初の闘争方針を放棄。JRとの協調路線に転じていく。こうした社会と政治の変化が、映画の中からすっぽりと抜け落ちているのはなぜなのか。

2001年11月17日公開予定 BOX東中野
配給:ビデオプレス

(上映時間:1時間40分)

ホームページ:http://member.nifty.ne.jp/videopress/

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