犬夜叉
時代〈とき〉を越える想い

2001/12/28 ニュー東宝シネマ
高橋留美子原作の人気コミック初の劇場映画版。
悪役キャラの造形が魅力不足。by K. Hattori

 テレビアニメ化もされている高橋留美子の人気コミックをもとにした、オリジナル・ストーリーの劇場版。僕にとって高橋留美子というのは「うる星やつら」と「めぞん一刻」の作家であって、「らんま1/2」以降はまったく作品を読んでいない。当然「犬夜叉」も原作未読、テレビ版も未見という状態。それが映画だけを観て何がわかるのかというと、これが不思議なことにたいていのことはわかるのだ。この映画、僕が観たところ内容的には「う〜む」である。正直言ってつまらない。

 映画は原作やテレビ版から離れたオリジナル・ストーリーになっている。映画の冒頭に物語の世界観や人物の紹介も大まかに行われているから、それさえ飲み込んでしまえば物語を理解するのには支障がない。登場するキャラクターのほとんどは原作やテレビ版にも登場するレギュラー陣らしく、どの人物(妖怪も含む)も個性がはっきりしていてよく動き、よく喋る。登場人物同士の会話は生き生きしていて、しばしば笑わせ、時にハラハラさせたりホロリとさせたりする。でもこの映画、こうしたレギュラー陣のあれやこれやにばかり終始していて、肝心の物語がまったく面白くないのだ。

 映画オリジナルの悪役キャラとして、中国から渡ってきたという妖怪・瑪瑙丸(めのうまる)というのが登場するのだが、このキャラの扱いが話をつまらなくしてしまった最大の原因だろう。主人公である犬夜叉や日暮かごめたちのしっかり練られたキャラクターに比べ、瑪瑙丸とその配下にある美女妖怪・瑠璃(るり)と玻璃(はり)のキャラはいかにも平面的で魅力に乏しい。劇場版1回こっきりの出場しかあり得ないこうしたキャラクターにこそ、血肉のあるリアルな造形が必要なのではないだろうか。主人のために働きながら使い捨てにされてしまう瑠璃と玻璃など、哀れと言えばこれほど哀れな妖怪たちもいないだろう。このあたりをきちんと書き込めば、こうした劇場キャラの固定ファンも生まれそうなのになぁ。この映画ではどのキャラも、単なる悪役どまり。時代劇で言えば「斬られ役」でしかない。

 主人公たちには主人公たちの大義名分と目的があり、悪役には悪役の大義名分と目的があるはずだ。それが「価値観の衝突」を起こすからこそ、アクションシーンには血が通う。ところがこの映画では、クライマックスで悪の総本山となる瑪瑙丸が不思議な玉の中に隠れて舞台の面から姿を消し、瑠璃と玻璃は斬られ役に甘んじてしまう。敵は巨大で強敵だが、犬夜叉たちの戦いは巨大な壁に力一杯ぶつかっていくような独り相撲に見えてしまい、善玉悪玉入り乱れての攻防戦が成立しない。こうして本来の対決シーンが空回りする中、犬夜叉は失神。桔梗が登場し、殺生丸は思わせぶりに姿を現し、ヒロインのかごめまは現代に戻る。こうしてクライマックスの盛り上がりは細切れになり、気分の高揚はその都度に熱を冷まされてしまう。話のアイデアはともかく、脚本作りの段階で大きな設計ミスがあったとしか思えない。

2001年12月15日公開 ニュー東宝シネマ他・全国東宝洋画系
配給:東宝

(上映時間:1時間40分)

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