ふたつの時、ふたりの時間

2002/01/10 映画美学校第2試写室
台湾の映画監督ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)の新作。
時間と距離を隔てた台湾とパリの共鳴。by K. Hattori

 『河』『Hole』の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督作品。主人公シャオカンを演じるのは、いつもと同じ李康生(リー・カンション)。僕はツァイ・ミンリャン監督の映画がいつも好きになれないのだが、今回の映画もやっぱり好きになれなかった。これは映画の内容が難解だとか、話の筋立てが気にくわないということではない。ツァイ監督の映画が持つ独特の風合いが、僕の生理に合わないのだ。説明的な描写を徹底して廃し、淡々と目の前の状況の「目撃者」に徹したカメラ。その前で繰り広げられる芝居は妙に生々しく、演じている役者たちの体臭や吐く息の匂いまで伝わってくるような気がする。しかもその匂いは汗ばんで、垢じみて、どちらかというと悪臭に近いのだ。映像だけでこれほど人間の「匂い」を感じさせる映画監督も珍しい。そういう意味で、たぶんこの監督はすごい才能の持ち主なのだろう。でも僕はその匂いが苦手なのだ。もっともこうした生理的反応は、どこかで180度転換してしまう可能性もある。その時僕は、ツァイ・ミンリャン監督の信奉者になるだろう。

 台北の路上で腕時計を売っているシャオカンは、数日後にパリに旅立つという若い女シアンチーに出会う。売り物の時計に気に入ったものがなく、シャオカンのはめている時計を売ってほしいと言うシアンチー。シャオカンは最初断るが、結局は彼女に時計を譲る。この映画の主人公ふたりが直接顔を合わせるのは、映画導入部のこのわずかな時間だけだ。ここから映画は、台北で暮らすシャオカンの物語と、パリで暮らすシアンチーの物語の2頭立て馬車になる。互いに何となく相手が気になりつつも、相手に連絡を取ることもなく別々にそれぞれの時間を生きているふたり。ところが映画の中では、ふたりの生活が時々共鳴し合うのだ。おそらくその共鳴に、登場人物たち本人は気づいていない。だが映画を観ている人たちは、その共鳴に驚き、笑い、喝采を送る。

 映画の中ではトリュフォーの代表作『大人はわかってくれない』が何度も引用される。トリュフォーは主演のジャン=ピエール・レオーを主演にして「アントワーヌ・ドワネルもの」を連作していくわけだが、これはリー・カンションを主演にシャオカンの物語を連作していくツァイ・ミンリャン監督の態度に大きな影響を与えているのだろう。ツァイ監督はこの映画でトリュフォーを引用することで、自分自身の創作のルーツを明らかにしている。過去と現在、台湾とパリ。ふたつの時、ふたつの場所は、地下水脈のようにつながり合っている。トリュフォーの映画はツァイ・ミンリャンの映画につながり、台湾のシャオカンとパリのシアンチーもつながる。映画の中に本物のジャン=ピエール・レオーがひょっこり顔を出すシーンには思わず笑ってしまうが、これは映画のテーマと不可分に結びついた重要な場面だと思う。

 ジャン=ピエール・レオーの登場以上に驚かされるのは、ラストシーンだろう。ここで映画は作品を貫いていたリアリズムの限界を軽々と突き抜ける。すごい。

(英題:What time is it there?)

2002年2月上旬公開予定 ユーロスペース
配給:ユーロスペース、サンセントシネマワークス

(上映時間:1時間56分)

ホームページ:http://www.eurospace.co.jp/

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