On The Way

2002/03/28 映画美学校第2試写室
感じるのは人と人を隔てる壁や境界に対する違和感だ。
韓国人アーティスト崔在銀の初監督作。by K. Hattori

 '76年に来日して勅使河原宏氏のもとで草月流を学んだという韓国人女性アーティスト崔在銀が、故郷である朝鮮半島の分断をモチーフに作った映像詩。テーマになっているのは、人と人を隔てている壁や境界線だ。それはベルリンの壁のように目に見える形である場合もあるし、ナチス時代のユダヤ人迫害を生みだした差別のように、直接は人の目に見えないこともある。映画はアウシュビッツとベルリンを回って、最後に朝鮮半島を南北に分断する38度線に戻ってくる。板門店にある軍事境界線は確かに目に見える境界線だ。だが「38度線」という地図上の境界線は、目には直接触れることのない抽象的な概念として、朝鮮半島の山河を南北2つの国に分断しているのだ。目に見える境界線を生み出すのが、じつは目に見えない境界線であることがこれでわかる。

 ジャンルとしてはドキュメンタリーと呼ばれる作品だろう。だがこれを「ドキュメンタリー」という枠の中に入れることも、映画をジャンル分けしたいという意識が生みだした境界線や壁かもしれない。この映画は「ドキュメンタリー映画=記録映画」という壁を軽々と飛び越えてしまう。この映画はドキュメンタリー映画の形を借りた、アーティスト崔在銀の心象スケッチ。あるいはストーリーやキャラクターという制約を受けないまま、すべてをカメラ視点で描いた劇映画だろうか。この映画をどう受け止めるかは、観る人にかなり大きく委ねられていると思う。声高なメッセージはない。これは頭で理解する映画ではなく、心で感じる映画なのだ。

 この映画は、歴史を解説しているわけではない。社会勉強の役に立つような映画でもない。映し出されているのは、人間社会を不自然に分断している壁や境界線の存在だけだ。南北朝鮮を隔てて仏頂面でにらみ合っている南北朝鮮や国連の兵士たちは、なぜわずか数十センチのコンクリートの標識を越えて、その向こう側に一歩踏み出すことができないのか。アウシュビッツの鉄条網や、展示品と見学者を隔てている分厚いガラス。ベルリンの町中に駅の点字ブロック状に残る、東西ベルリン分断の壁の跡。かつて多くの人々が、その壁や境界線のために命を失った。時代が変われば、その境界は無になるのか。鳥や獣は人間の作った境界など無視して、自由にあちらへもこちらへも移動できるのに。呼びかければ互いに声が届き、手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。風はどちらへも同じように吹いているのに。

 崔在銀はこうした不条理に、「それは歴史が」「それは社会が」「それは人間が」といった理屈付けをしない。理屈ではないのです。この映画が訴えようとしているのは、壁や境界線に対する違和感なのです。我々はいつの間にか、38度線で朝鮮半島が分断されていることを当たり前だと感じていないか。でもベルリンの町も、かつては分断されているのが当たり前だった。それが今は、旧境界線を越えて人も車も電車も走っているではないか。この映画はそんなことを言っているように思えます。

2002年5月11日公開予定 テアトル新宿(レイト)
宣伝協力:スローラーナー

(上映時間:1時間14分)

ホームページ:http://www.jae-eun-choi.com/

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