明日、陽はふたたび

2002/05/22 映画美学校第2試写室
1997年の大地震で被害を受けたイタリアの村を舞台にした人間ドラマ。
本当のドラマは災害の後に生まれるのかもしれない。by K. Hattori

 1997年にイタリア中部ウンブリア地方で大地震が発生し、聖フランチェスコで有名なアッシジなど歴史を刻んだ多くの町に大きな被害を与えた。アッシジはその後建物の修復作業なども行われ、現在はかつてと同じように世界中の観光客を集める町に戻ったようだ。しかし小さな町の中には、建物のほとんどが修復不能な被害を受け、結局は住民がひとりも戻れないまま事実上消えてしまったものもあるという。この映画に登場するカッキアーノは架空の町だが、撮影は地震で破壊され、今は誰も住まなくなったセッラーノという町で行われたそうだ。日本でも阪神淡路大震災があった。遠からず東海大地震も起きるであろうと言われている。地震の話は日本人にとって他人事ではない。映画に登場する地震直後の被災地の様子。電気や水道などが止まった真っ暗な町で、不安げに肩を寄せ合う住民達の姿。退去命令が出てゴーストタウンのようになった半壊の町。大臣や自治体関係者の現地視察。仮設のテント村。余震の恐怖。崩壊寸前の建物の撤去作業。やがて始まる仮設住宅の建設。これらはすべて、阪神淡路の震災のときにも見られたものだ。

 物語は地震が起きた夜に始まる。住民たちが寝入っていた真夜中に、突然町を包み込む地鳴りの音。やがて街全体が大きく揺れ動き、人々は着の身着のままで外へと飛び出していく。建物の外壁は剥がれ落ち、壁には亀裂が入り、電気はストップして、電話も携帯も不通になる。真っ暗な闇の中で、自分たちが完全に孤立してしまったのではないかという恐怖。やがてラジオが地震の被害を伝え始めると、人々は自分たちが忘れられていないことに安堵する。だが本当の物語は、そこから始まるのだ。

 物語の中心になるのは、被災した町で東奔西走する副町長パオロ・ゼレンギの一家と、小学校の女性教師ベティ。このふたつの中心を結ぶのが、ゼレンギ家の次男アゴスティーノと、彼に想いを寄せるふたりの女子生徒ヴァーレとティーナ。さらにここに、教会の壁画修復のため町を訪れたイギリス人アンドリューとその妻がからみ、ゼレンギ家のトレーラーに同居するモッチャ家の人々が加わる。小さな町だから、もともとの住民たちは最初から顔見知りなのだろう。だが大地震という大事件が、これらの人々が地震前に作り上げていた共同体の枠組みを大きく歪める。それまで隠されていた町の問題点が、被災地という特殊な状況の中で増幅して噴出する。危機的な状況に全町民が一致団結しなければならない時なのに、「反町長派にも救援物資の分配権を寄こせ」と要求された副町長のパオロは、「こんな時になんてことだ!」と怒りあきれ果てると同時に、悲しげに顔を歪めるのだ。「必ず戻る」と家族に約束した家を、町民たちの中で率先して取り壊さなければならない苦悩もある。

 地震という自然災害の前に、脆く崩れ去っていく人間たちの生活。だがその中で見えてくる人間の豊かさや尊さもある。ゼレンギ家の長男とモッチャ夫人のエピソードは印象的。少女の語りで終るエンディングも秀逸だ。

(原題:Domani)

2002年9月21日公開予定 岩波ホール
配給:シネマテン

(上映時間:1時間46分)

ホームページ:http://www.iwanami-hall.com/

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