少女の髪どめ

2003/04/16 日本ヘラルド映画試写室
『運動靴と赤い金魚』『太陽は、僕の瞳』のマジッド・マジディ監督作。
イラン人青年のアフガン少女への無償の愛のドラマ。by K. Hattori

 『運動靴と赤い金魚』のマジッド・マジディ監督最新作。テヘランの建設現場で下働きの仕事をしている17歳のラティフは、悪い人間ではないものの、少々軽薄で喧嘩っぱやい問題児だ。現場では作業員の小さな買い物を頼まれたり、食事の支度をしたり、お茶を配って回る軽作業。だがその仕事が、怪我で現場を離れたアフガン人労働者の息子ラーマトに奪われてしまう。せっかくの楽な仕事が、ラーマトのせいでふいになってしまったことがラティフには面白くない。しかもラーマトの入れるお茶が美味しく、食事の配膳も手際がよく、「前とは大違いだ!」などと労働者たちの評判がすこぶるいいことも、ラティフにはまったく面白くない。ラティフはラーマトを恨む。彼を何とか現場からイビリ出そうと画策する。だがある日、ラティフは重大な事実を知ってしまった。少年だとばかり思っていたラーマとは、貧しい家族を養うため働いている女の子だったのだ。

 イラン国内のアフガン人労働者問題を、イラン人青年の目から見つめるドラマだ。主人公のラティフは、最初からアフガン人に同情的だったわけではない。彼はむしろ、最初はアフガン人を軽く見ているところがある。だがそんなラティフの感情は、ラーマトと名乗るアフガン人の少女に出会ったことで一変する。ラティフは劣悪な工事現場の環境から、彼女をできるだけ守ろうとする。それは恋愛感情に似た情熱的な思いなのだが、その気持ちを彼女にぶつけることはできない。ラティフはラーマトにとって、職場のよき同僚として振舞い始める。だがある日の事件を境に、彼女は工事現場から姿を消してしまった。ラティフは彼女の顔を見るため、彼女が暮らすアフガン人たちの集落に向かう。映画はここから、第2の段階に物語を進めていく。

 ここで明らかになるのは、戦火を避けてイランにやってきているアフガン人たちが、社会の最底辺をはいずるように暮らしているという現実だ。男たちは日雇い労働者として低賃金の肉体労働に従事し、女たちも集落の周辺で危険できつい仕事をして日銭を稼ぐ。アフガン人たちには、いわゆる3Kの仕事しか与えられない。それでも彼らは黙々とその仕事をこなしている。悲しいことに、彼らの祖国は長く戦乱の中にある。どんなに仕事がきつくても、どんなに生活が貧しくても、イランにいれば彼らには仕事がある、食べていくことができる、少なくとも銃や爆弾で殺されることはない。だが彼らも祖国に帰りたいのだ。彼らの多くは、家族や親族を故郷に残したままなのだから。

 季節は冬なのに、アフガン人の女たちは冷たい水に腰までつかりながら、川底の石を積み上げる作業をしている。それを見ながら、涙を流すことしかできないラティフ。この視線は、そのままマジッド・マジディ監督の視線でもあるのだろう。そしてそれは観客の視点に重なっていく。アフガニスタンに帰っていく一家に平和を!

(英題:BARAN)

2003年4月26日公開予定 シネマライズ
配給:日本ヘラルド映画 宣伝:樂舎
(2001年|1時間36分|イラン)
ホームページ:
http://www.herald.co.jp/movies/kamidome/

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DVD:少女の髪どめ
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