ムーンライト・マイル

2003/04/28 GAGA試写室
娘を殺された両親と娘の元婚約者の交流を描くドラマ。
俳優たちは上手いと思うけど、脚本が少し遠慮がち。by K. Hattori

 愛する娘を突然失った両親と娘の婚約者が、心に負った傷を癒しながら過去を乗り越えていこうとする姿を描くヒューマンドラマ。娘の死因は突然の銃撃だ。犯人はすぐに捕まったが、それで家族を失った者たちの心が癒されるわけではない。後には屈辱的な裁判も待っている。同じような人物配置の映画としては、突然息子を失った両親と息子の恋人が登場する『イン・ザ・ベッドルーム』という映画があった。しかしこの『ムーンライト・マイル』は、娘を奪った犯人に対する憎しみや正当な報復を求める気分というのが希薄だ。ある日突然に愛する人が消えてしまう。そのやるせなさだけが、映画の中心にどっかりと腰を下ろして居座っている。

 製作・監督・脚本は『シティ・オブ・エンジェル』のブラッド・シルバーリング。今回の映画は、彼の実体験がベースになっているのだという。それは'89年にテレビ女優のレベッカ・シェーファーがストーカーに殺された事件。彼女は当時監督の恋人で、事件の後、監督は彼女の家族と深い交流を持つ機会があったという。ただし映画はこの事件そのものを描いているわけではない。ストーカー殺人という特殊な事件は、レストランで偶然銃撃に巻き込まれて死んでしまうという話に変わっている。

 映画はベトナム戦争がまだ続いていた'70年代が舞台。こうした時代背景にする必然性がどこにあるのか、それが僕にはちょっとわからない。監督自身が自分の実体験と少し距離を置いて物語を作りたかったということかもしれないけれど、これによって観客と映画の距離まで広げてしまったのでは意味がないと思う。'70年代を舞台にしたこの物語が、30年後の我々にどんなメッセージを発しているのか。

 『イン・ザ・ベッドルーム』のように「犯人が憎い!」という部分に物語が帰着していくなら、まだしもドラマはわかりやすくなる。でもこの映画では、そうした明確なターゲットを定めないままドラマが進行していく。犯人を裁く場で主人公がある重大な告白をするところが映画のクライマックスだが、その結果として犯人にどんな裁きが下ったのかはまったく描かれない。「裁判」は主人公の真実の告白を阻む装置として機能しているだけで、犯罪について真相を明らかにし、犯人に制裁を加えるという裁判本来の機能は果たしていないのだ。そんなこと、この映画ではまるで無意味だと言わんばかり。ではこの映画が言いたいことは何だったの?

 この映画が語りたかったことは、じつはなんとなくわかる気もする。でもその声はあまりにも小さくて聞き取りにくい。娘の死、新しい商売、新しい出会い、真相の告白といった物語の中で、傷つき疲れている人間たちは自分たちの本当の気持ちを、遠慮がちにおずおずとしか語ろうとしない。でもこういう大事なことを、どうやって大声でわかりやすく語らせるかが、脚本や演出の技術というものだと思うんだけどね。

(原題:Moonlight Mile)

2003年6月下旬公開予定 みゆき座他・全国東宝洋画系
配給:ギャガ・ヒューマックス共同配給
(2002年|1時間56分|アメリカ)
ホームページ:
http://www.moonlight-mile.jp/

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