ドッペルゲンガー

2003/07/16 アミューズ試写室
天才発明家がスランプの中で自分の幻影と出会う。
黒沢清&役所広司による久々のコンビ作。by K. Hattori

 『アカルイミライ』が好評だった黒沢清の新作は、『CURE』や『カリスマ』『降霊』などでコンビを組んだ役所広司を主演に迎えたオカルティックなスリラー映画。タイトルの『ドッペルゲンガー』とは、人間が自分自身の幻影と出会う自己像幻視(二重身)のことで、精神医学では自我障害のひとつとされている。ドッペルゲンガーを目撃した人は間もなく死ぬとも言われているが、それはこの現象がバランスを崩した精神から生じるものだからかもしれない。いずれにせよ、自分がもうひとりの自分に出会うというのは昔から作家を刺激するテーマ。本作『ドッペルゲンガー』も、そうした「自分と自分」についての物語だ。

 医療機器メーカーで人工人体の研究をしている早崎道夫は、ここ何年かスランプに苦しんでいる。自分が思ったほどには研究成果が上がらない。同僚や助手たちも、そんな早坂の苛立ちを受け止めてはくれない。そんなある日、彼は助手の女性社員から不思議な話を聞かされる。友人の弟が自殺する前、ドッペルゲンガーが現れたというのだ。超常現象に興味のない早坂はこの話にまったく関心を示さないのだが、間もなく彼の目の前に、彼自身のドッペルゲンガーが現れる。もうひとりの自分は研究に行き詰っている早坂を笑い飛ばし、「俺に任せておけば悪いようにはしない」と言うのだが……。

 スティーブンソンの小説「ジキル博士とハイド氏」や映画『ファイトクラブ』の例を出すまでもなく、ひとりの人間の「分身」を描いた物語の多くは、本来別々の人格だと思われていたものが、じつはひとりの人間の中にある二面性だったという筋立てになっている例が多い。しかしこの映画『ドッペルゲンガー』は、それとは正反対の方角から人間の二面性の問題に切り込んでいく。早坂と彼のドッペルゲンガーは、最初から「ひとりの人間の二面性」として表れ、やがて本当にふたつの人間に分裂するのだ。アメーバが身体を分裂させて増殖するように、早坂もある瞬間にふたつの肉体へと増殖する。

 画面の中にふたりの早坂が登場する場面が何度もあるが、その描写方法がどんどん進化していくのは面白い。最初はカットの切り替えや編集で役所広司の一人二役。次は画面に背格好の似た代役を入れて、役所広司の顔ともうひとりの顔が同時に出ないようになっている。次に画面の中でふたりが重なり合わないように同時に顔を出すようになり、最後はふたりが肉体的に触れ合うシーンまで描かれる。こうした描写の変化が、そのままドッペルゲンガーの肉体化(実体化)を表現しているのだ。

 映画は終盤ギリギリまでドッペルゲンガーをめぐるスリラーなのだが、最後の最後になって突然、カーチェイスや銃撃戦を交えたアクション映画に変貌する。この変貌に対する居直りぶりが清々しい。柄本明の退場シーンにも吹き出してしまうし、『レイダース』のパロディにも笑ってしまった。

秋公開予定 シネ・アミューズ、新宿武蔵野館
配給:アミューズピクチャーズ
(2002年|1時間47分|日本)
ホームページ:
http://www.doppel.jp/

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