マグダレンの祈り

2003/07/30 日本ヘラルド映画試写室
ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞の女性版『カッコーの巣の上で』。
これほどの女性差別が公認されていたとは。by K. Hattori

 カトリック国であるアイルランドで19世紀に誕生し、21世紀を目前にした1996年まで存続したという「マグダレン修道院」。その名は新約聖書に登場するマグダラのマリア(マリア・マグダレン)に由来する。娼婦の身から改心してキリストに帰依し、最後は聖女として天国での永遠の命を約束されたマグダラのマリア。マグダレン修道院はそんな聖女にあやかって、貧しさから春を売ることでしか生活の糧を得られなかった女たちを保護収容し、仕事を与えて自活させることを目的として作られた。修道院内は厳格な規律に縛られ、収容者から一切の自由は奪われた。私物はすべて取り上げられ、私語は禁止、外出も禁止、監督の修道女たちには絶対服従、それらに従えない場合は過酷な折檻が待っている。この映画はそんなマグダレン修道院に収容された、3人の若い女性のドラマだ。

 この映画のヒロインたちは「娼婦」ではない。ただしカトリックの古い倫理に縛られたアイルランドでは、周囲から「ふしだらな女」「罪深い女」という烙印を押されてしまう身だった。従兄弟にレイプされたマーガレットは身内の恥として家族から引き離され、修道院に送られる。未婚のまま子供を生んだローズは、子供を強制的に里子に出され、自分は修道院に送られてしまう。孤児院育ちのバーナデットは、その美しさが男性の目を引きすぎるという理由で修道院送りになる。これは19世紀の話ではない。物語の舞台になっているのは1964年からの数年間。つまりまだ40年にも満たない、近い過去の物語なのだ。

 映画に登場するマグダレン修道院は、もはや「弱い女性を社会から保護する」という本来の目的を忘れ、女性の弱い立場に付け込んで収容者たちを奴隷労働させる「搾取の場」へと変貌している。カトリック教会という聖なる絶対の権威が、収容者に「罪の女」というレッテルを貼るのだ。社会は彼女たちがどれほど悲惨な目にあっていても、「自業自得」としか考えない。過酷な労働は収容者にとって「魂の浄化作業」だという大義名分があるから、修道女たちは収容者をどれほど過酷に扱ってもまったく良心の痛みを感じない。自分を「絶対善」とする傲慢さが、いかなるグロテスクな行為をも正当化するのだ。

 昨年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した作品。監督・脚本のピーター・ミュランは、収容者のひとりの父親役で1シーンだけ出演もしている。ミロス・フォアマンの『カッコーの巣の上で』は1960年代の精神病院を舞台にしているが、この映画はその女性版と言えないこともない。おそらく監督の念頭には、『カッコー〜』があったのではないだろうか。ジェラルディン・マクイーワン演じる修道院長は、ルイーズ・フレッチャー演じるラチェッド婦長とオーバーラップする部分が多々あるように思う。終盤の物語の流れも、『カッコー〜』をなぞっているのではないだろうか。

(原題:The Magdalene Sisters)

秋公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:アミューズピクチャーズ
(2002年|1時間58分|イギリス、アイルランド)
ホームページ:
http://www.magdalene.jp/

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DVD:マグダレンの祈り
原作:マグダレンの祈り
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関連CD:Misses (Joni Mitchell) 「Magdalene Laundries」収録
関連洋書:Eclipsed (Patricia Burke Brogan)
参考書籍:知って役立つキリスト教大研究(八木谷涼子)
参考書籍:キリスト教とセックス戦争
参考書籍:―西洋における女性観念の構造(カレン・アームストロング)

参考書籍:女性たちのアイルランド
参考書籍: ―カトリックの「母」からケルトの「娘」へ(大野光子)

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