呪怨2
2003/09/07 東劇
劇場1作目公開から数ヵ月後には完成した続編だができは悪い。
登場人物に勘定できないのは脚本のまずさだろう。by K. Hattori
ビデオ市場から生まれたヒットホラー映画『呪怨』の続編。今年1月に『呪怨』が公開されてヒットするや、すぐさま続編を企画して夏公開に間に合わせた興行センスには脱帽するが、これはいかにも間に合わせのやっつけ仕事という感じ。前作の緻密な構成やきめ細かな恐怖描写には遠く及ばない、平凡な二番煎じになっていると思う。これは単に前作で恐怖描写に慣れてしまったということではなく、映画の作りが間違いなく粗雑になっているのだ。『呪怨』が受けてハリウッドでリメイクなどという話も立ち上がり、それはそれで喜ばしい話ではあるのだが、監督の頭はもうすっかりそちらに向いてしまって、このパート2は気持ちがお留守になっていたのではないだろうか。
ホラークイーンの異名を持つB級女優が、テレビの心霊番組で『呪怨』の舞台になった家を訪ねたところ、出演者やスタッフたちの身に次々と何者かが……というお話。前作と同じく物語の時系列をバラバラにほぐし、登場人物ごとにエピソードをまとめていくことで、巨大な怪奇現象を多角的に描くという趣向。しかし今回はこの構成が、あまり成功しているとは思えない。登場する個々のキャラクターの掘り下げがいまひとつで、映画を観ていてもそれぞれの人物に感情移入しにくいのだ。キャラクターに付随するいろいろな属性が単なる飾りや色づけにしか見えず、その人物の本質を描き切れていないような気がする。
例えば酒井法子が演じるB級女優の抱える仕事や私生活上の問題に、僕はまったく共感を持てなかった。婚約者との関係など、ちょっとした台詞や芝居でもう少し豊かに肉付けできないものなのか。新山千春演じる心霊番組のレポーターとその恋人、メイク係の女性、番組のディレクターなど、どの人物もキャラクターとして平板すぎるのがこの映画の欠点だ。これらの人物は単なる殺され役としてそこに登場し、観客が予想したようにやっぱり殺されるだけだ。黒字に白抜き文字で登場人物の名前を出し、複数の視点から全体を浮き彫りにしていくという構成がうまく機能しないのは、結局のところその「視点」の持ち主に観客が感情移入できないからだろう。観客の気持ちは登場人物から離れ、映画全体を第三者の目で俯瞰してしまう。これでは人物ごとの視点で全体をバラバラにぶった切る意味がない。
前作『呪怨』の恐さは怨霊に何の目的意識もなく、近づいて触れたものを片っ端から殺していくことにあった。ところが今回は伽椰子や俊雄が、ある目的意識を持って行動するようになる。この目的がクローズアップされる終盤では、恐怖の質もこれまでとは異質のものへと変化してしまう。ラース・フォン・トリアーの『キングダム』ですか? それにしても、手術台の上で下半身丸出しのまま失神してしまったヒロインなんて、ちょっと間抜け過ぎないか? 恐怖演出が冴えないので、そんなことをつい考えてしまうよ。
8月23日公開 シネ・アミューズ他、全国洋画系
配給:ザナドゥー、東京テアトル
(2003年|1時間32分|日本)
ホームページ:http://www.juon2.jp/