陰陽師II
2003/10/07 日劇1
物語の前提となる部分が歴史的に間違ってはいないか?
せっかく面白いところに目を付けたのに、残念。by K. Hattori
夜の都に出没しては貴族を襲い、その体の一部を食いちぎる鬼。夜ごとに寝所をさまよい出ては、屋敷内を歩き回る右大臣の娘・日美子。宮中の宝物殿の中でひとりでに鳴く宝剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)。これらの謎を解こうとする主人公・安倍晴明に、都の郊外で人々の病を治療し、生き神とあがめられている幻角という方術師がからんでくる物語。やがてこれらはすべてひとつの物語へと合流し、宮廷に秘められた血塗られた過去が原因で、都は紅蓮の炎に包まれることになる。
物語のモチーフになっているのは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)による八岐大蛇(やまたのおろち)退治のエピソードと、大和朝廷による出雲侵略の歴史。劇中ではこれが安倍晴明と同時代の出来事として描かれているが、日本史や古事記を少しでも知っている人が観れば、これは「そんな馬鹿な!」というエピソードだ。大和朝廷が出雲を侵略して勢力下に入れたことは、古事記や日本書紀にも大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りとして記されていることだ。古事記や日本書紀が成立したとき(8世紀初頭)には既に、草薙剣が朝廷の物になっていたはずで、これはどう考えたって安倍晴明の時代(10世紀末)より何百年も前の話なのだ。このあたりはもう少し、歴史的にも辻褄の合う物語を作ってほしかったし、もしもそれ以外の設定があるのなら、それについて「いろいろな解釈があるのだ」などと逃げずにきちんと説明をしてほしかった。
ストーリーの土台に大和と出雲の対立を置き、最後にスサノオを大暴れさせたいだけなら、他にもいろいろなパターンでドラマが考えられたはず。大和と出雲の対立はそもそも数百年のスケールを持つ話なのに、それをわざわざ、都の郊外にある小さな集落が襲われて云々なという小さな話にまとめてしまった理由がよくわからない。
もともと野村萬斎の芸を見せる映画だとは心得ているけれど、クライマックスに清明が女装して踊るというのでは拍子抜けだ。敵の正体も目的も露見し、清明の努力にも関わらずスサノオが復活し、最後はいよいよ清明と幻角の対決、清明とスサノオの戦いかと思わせて、いきなり女装の踊りはないんじゃないの? この後にきちんとアクションシーンを入れてこそ、映画の大画面で『陰陽師』を作る意味があると思うけどなぁ……。
10月4日公開 日劇2他・全国東宝系
配給:東方
(2003年|1時間55分|日本)
ホームページ:http://www.onmyoji-movie.com/