跋扈妖怪伝・牙吉

2004/01/14 映画美学校第2試写室
特殊メイク出身の原口智生監督が撮ったアクション時代劇。
最後のぬいぐるみ合戦も含めてとってもB級。by K. Hattori


 『さくや・妖怪伝』の原口智生が、原田龍二を主演に迎えて撮った妖怪アクション映画。主人公は無宿渡世人風のいでたちをした、犬神族の生き残り牙吉。各地を放浪する彼が偶然迷い込んだ宿場町は、人間の迫害から逃れてきた妖怪たちの吹きだまりだった。この妖怪宿を取り仕切る鬼蔵という妖怪博徒の一味は、領内に入り込むならず者や賞金首を始末することで、領主の側近たちから目こぼしを受ける身の上だ。かつて人間に裏切られて一族を皆殺しにされた牙吉は、人間と曖昧な取引をして安住の地を得られたかのように振る舞う鬼蔵に違和感を感じつつも、この宿場にしばらく逗留することになる。だが人間たちは妖怪を利用するだけ利用したあげく、その生存の息の根を止めようと考えていたのだった……。

 物語のベースになっているのは、19世紀後半のアメリカ政府によるインディアン迫害史だろう。アメリカ政府はインディアンたちと条約を結んでその生活を保障しながら、あれこれ理由を付けてその生活を脅かし、最後にはすっかり土地を奪ってしまった。ここで現れたのが白人政府への徹底抗戦を続けるインディアン部族と、白人政府に協力することで自分たちの生活を守ろうとする部族だったのだ。だが白人に協力したインディアンたちも、最後は結局狭い居留地に追いやられてしまう。こうしたアメリカの先住民史を、日本の妖怪に置き換えたのが『跋扈妖怪伝・牙吉』というわけだ。牙吉の衣装に施された文様がインディアン風なのも、犬神族の村で人々が顔に絵の具を塗っているのも、妖怪たちが形を変えたインディアンであることの証明。妖怪皆殺しのための武器として最後に人間たちが用意したのは、西部劇でも有名なガトリング砲だ。

 ただしこうした物語の外形は、この映画の場合まったくの借り物だろう。これはいわば、物語を物語たらしめるための方便だ。監督がやりたいことは人間と妖怪が入り乱れた異世界をスクリーンの中に作り上げることであり、そのために「インディアン対白人」という異国の歴史を下敷きにしたに過ぎない。その証拠にあまりにも描写が表層的すぎて、とてもこの問題を真剣に掘り下げているとは思えないのだ。

 物語そのものが借り物であることと、既に製作がスタートしている第二部への目配せが余計な枝葉となって、脚本はまるでストーリーとしての体をなしていない。鬼蔵がどんな妖怪に変身するのかと楽しみにしていたら、オイオイそれはないだろう……。安藤希にかかずらう暇があったら、本筋のドラマをもっときちんと作っておいてほしい。時代劇映画にしては、登場人物たちの口調が時代物の型にはまっていないが、それが自由さではなく危うさに見えてしまうところも欠点。牙吉の変身シーンを観ていると、その技術が20年以上前の『ハウリング』や『狼男アメリカン』より見劣りするのはなぜ? なんだか全体に素人くさい映画でした。

2月7日公開予定 渋谷シネパレス
配給:ジービー・ミュージアム、リベロ
2003年|1時間37分|日本|カラー|ビスタ
関連ホームページ:
http://www.kibakichi.jp/

DVD:跋扈妖怪伝・牙吉
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