イズ・エー [is A.]

2004/09/09 映画美学校第2試写室
少年犯罪が抱える制度的な闇に振り回されるふたりの父。
内藤剛志の芝居は迫力がある。by K. Hattori

 酒鬼薔薇事件として知られる神戸の連続児童殺傷事件の犯人Aが、今年の春に医療少年院を出所した。はたして彼が本当に更生しているのかは誰にもわからない。そもそも少年事件の加害者は少年法によってプライバシーが厳重に守られているため、加害者が更生したかどうかを第三者が監視することすらできない。一方今年7月には、15年前に起きた女子高生コンクリート詰め殺人の犯人グループのひとりが、知り合いの男を監禁して暴行を加えたとして逮捕されている。このニュースを聞いて「やっぱり更生などしていなかったのだ」と思った人は少なくないだろう。映画『イズ・エー』は、そんな少年事件と少年法の問題を真正面から見据えたドラマだ。

 休日の人でにぎわう渋谷の繁華街で、飲食店に仕掛けられた爆弾によって多数の死傷者が発生する。だが逮捕されたのは14歳の中学生。4年後に少年院を出所した彼を待つのは、高校教師の職を辞して清掃員をしている父と、爆破事件で幼い子供を殺された刑事だった。「世間がなんと言おうと、お前は変わったんだ。堂々と生きていい」と息子に言う父。「4年で人は変わるんでしょうか。あいつはまたきっと何かやる」と言う刑事。当の少年は、ただ黙々と作業所で働いているように見えたのだが……。

 映画は事件を起こした少年ではなく、加害者の父と被害者の父という、ふたりの父親にスポットを当てている。演じているのは内藤剛志と津田寛治。立場がまるで正反対のふたりだが、ふたりは少年犯罪の抱える矛盾を丸ごと抱え込んだように苦悩する。「犯人の少年は変わったのか?」「少年は更生したのか?」「再犯の恐れはないのか?」という疑問に、誰も明確な答えは出せない。会社の上司に「本当に信じているのか?」と問われた少年の父は、「家族ですから」と答える。確信など誰も持てない。答えなどない。加害者の父にできるのは、自分の息子が「変わった」と自らに信じ込ませることだけなのだ。

 この映画は娯楽映画の形式を取っているため、「少年は本当に更生したのか?」という問いかけに対してわかりやすく明確な回答を準備している。しかし本当はこれをぼかして、周囲の人間が永遠にたどり着けない答えを求めて苦悩し続けた方が、テーマをより掘り下げられたかもしれない。しかしそれは、また別の映画作家が取り組むべきことだろう。この映画の狙いは、少年犯罪が抱える制度的な闇を、物語の中に取り込むことなのだ。映画はそれに十分成功していると思う。

 内藤剛志演じる少年の父親が圧巻の迫力。これに比べると、津田寛治は少し軽い。これは分厚く重たいナタと、鋭利なカミソリの違いかもしれない。もみくちゃの肉弾戦になれば、ナタの方が威力を発揮したということか。内藤剛志扮する父が、息子ともみくちゃに格闘するシーンは、無言の中にあらゆる感情が渦巻くこの映画のクライマックスだ。

10月公開予定 ユーロスペース
配給:GPミュージアムソフト 宣伝:イズ・エー[is A.]宣伝事務局(アジンコート)
2003年|1時間49分|日本|カラー|ビスタサイズ|DTSステレオ
関連ホームページ:http://www.is-A.jp/
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