コーラス

2005/1/14 日本ヘラルド映画試写室
合唱を指導する音楽教師がすさんだ少年たちの心を癒す。
少年院を舞台にした正攻法の教師もの。by K. Hattori

 大きな戦争が終わったとはいえ、まだ社会のそこかしこに戦争の生々しい傷跡が残っていた1949年のフランス。札付きの不良少年や身寄りのない孤児、家庭の事情で保護者が面倒を見られない子供などを集めた「池の底」という名の少年院では、子供たちが連日のように教師や舎監たちを手こずらせていた。そんな池の底へ新しい舎監として赴任したクレマン・マチューは、子供たちに規則と規律を押し付け「やられたらやり返せ」をモットーとする校長の方針に違和感を覚える。しかし雇われた舎監の身としては、校長の方針に黙って従うしかない。やがてマチューは子供たちが歌うはやし歌を聞き付けて、彼らに合唱の指導をすることを思い立つのだが……。

 世界的な芸術家になっているジャック・ペランが自分自身の少年時代を回想するという、名作『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じ導入部を持つヒューマンドラマだ。『ニュー・シネマ〜』では映画監督、『コーラス』ではオーケストラの指揮者。しかしこの導入部は、そこから語られる「過去」の物語と「現代」の距離を観客に見せるための物差しみたいなもの。これから語られるドラマは遠い過去の昔話ではなく、現代を生きる我々の手に届く、ほんの少し前の話に過ぎないのですよ……というわけだ。現代と過去が密接に結びつき、過去の記憶が現代に働きかけ語りかけてくる『ニュー・シネマ〜』に比べると、ずっとあっさりした作りになっている。もっともこれは映画の狙いの違いであって、ふたつの映画の優劣の問題ではない。

 原案は1944年のフランス映画『春の凱歌』。そこでは少年院の話が、主人公が自らの体験をもとに書いた小説ということになっている。『春の凱歌』ではこの本がベストセラーになり、主人公は子供たちの合唱に祝福されてハッピーエンド。ところが『コーラス』ではマチューの書いたのが小説ではなく日記になっており、マチュー本人は社会的な脚光を浴びることなくその後も教師として生き続ける。マチューの配慮で才能を開花させた世界的指揮者は、かつてマチューに受けた恩をすっかり忘れて名前さえ思い出せない。

 しかしこの映画を観ていると、世間的に注目を浴びることがマチューにとって幸福だったわけではなかろうという気にもなる。合唱団の功績を校長に横取りされても、それがマチューにとって屈辱だっただろうか? むしろマチューがもっとも心配していたのは、子供たちから合唱が取り上げられることだったように思う。自分の教え子が世界的な音楽家になる様子を、マチューは黙って見守っていた。たとえ相手が自分のことを忘れてしまったとしても、彼は自分のしたことに満足していたと思う。

 劇中で合唱をしているのはリヨンのサン・マルク少年少女合唱団。合唱団のソリストを勤める美少年ジャン=バティスト・モニエが、劇中でも才能あふれるソリストの役を好演している。

(原題:Les Choristes)

陽春公開予定 シネスイッチ銀座
配給:日本ヘラルド映画
2004年|1時間37分|フランス|カラー|シネスコ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.herald.co.jp/official/chorus/index.shtml
Click Here!
ホームページ
ホームページへ