バッド・エデュケーション

2005/1/21 スペースFS汐留
映画製作の裏側を舞台にしたアルモドバル監督のミステリー。
少年同士の「初恋」がモチーフになっている。by K. Hattori

 『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥ・ハー』などで一般映画ファン層にまで「泣ける映画を作る監督」という認知を広げたペドロ・アルモドバル監督の新作は、ゲイ・テイスト満載の極彩色ミステリーだった。この映画のテーマはずばり「恐いもの見たさ」だろう。隠された謎の向こう側にある真実を知ることで、自分は深く傷つけられるかもしれないという予感。しかし人はその予感におびえつつも、向こう側にある真実をのぞき見せずにはいられない。自分の身にこの先どんな危険が降りかかってくるのだろうかと不安に打ち震えながら、手探りで一歩ずつ先に進んでいく男たち。しかし先の見えない謎の中を手探りで進んでいくのは、スリル満点で最高に刺激的なのだ。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と言うが、人は「虎子」という結果などないとわかっていても、「虎穴」に入るスリルだけを求めて自らを危険にさらすことがある。

 1980年。新進映画監督エンリケの事務所を、かつて寄宿学校で同級生だったイグナシオが訪ねてくる。エンリケとイグナシオは学校では親友同士……。いや、親友以上に親密な幼い恋人同士だった。イグナシオは過去の話はあまりせず、ふたりの子供時代をモデルに書いたという脚本をエンリケに手渡し、その主人公を自分が演じたいと言い張る。学校の校長に性的な虐待を受ける少年と、彼と幼い愛をはぐくむ同級生の物語は胸を打つものがあり面白い。だがいま目の前で「アンヘル」という芸名を使う青年の中に、エンリケはかつての恋人イグナシオの面影を見ることができないでいる。やがてエンリケは「イグナシオ」を名乗る青年の正体を知ることになる。だが本当の物語は、むしろそこから始まるのだ。

 映画は何重にも重なり合った入れ子構造になっている。そもそも映画の中の「現在」は四半世紀前の1980年だから、この映画はすべてひっくるめて全体が回想形式になっているわけだ。その大きな回想の中にイグナシオが持ち込んだ脚本という劇中劇が存在し、その中でエンリケとイグナシオの過去が回想される。しかもこの劇中劇は実際の現実とは大きなズレがあるため、入れ子同士が単純な親子関係にならず、一部で重複したりずれたりねじれたりしているという構成。この映画はかなり残酷なストーリーなのだが、その残酷さを和らげユーモアさえ感じさせるのは、こうした映画の構成によるところが大きいように思う。複雑な入れ子構造が、観客が生々しいエピソードの毒に直接触れることを防ぐクッションになっているのだ。

 回想形式や劇中劇というオブラートに包んであるとはいえ、この映画が描く個々のエピソードはあまりにも痛々しい。少年が「ムーン・リバー」を歌うシーンのむごたらしさ。映画館で少年たちが互いの身体に触れ合うラブシーンと、幼い恋人同士がトイレで校長に捕まるシーンのサスペンス。まったくやりきれない。

(原題:La Mala educacion)

4月公開予定 テアトルタイムズスクエア、銀座テアトルシネマ
配給:ギャガGシネマ
2004年|1時間5分|スペイン|カラー|シネマスコープ|DOLBY DIGITAL、DOLBY SR
関連ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/
Click Here!
ホームページ
ホームページへ