アルフィー

2005/05/20 UIP試写室
1966年のイギリス映画をジュード・ロウ主演でリメイク。
新しさはまったく感じられない。by K. Hattori

 有名バンドのドキュメンタリー映画ではない。1966年のマイケル・ケイン主演映画『アルフィー』の舞台を現代のニューヨークに移し、ジュード・ロウ主演で再映画化した作品だ。リムジンハイヤーの運転手をしながら終わりのない女性遍歴を重ねる主人公アルフィーの生き方を、アルフィー自身の一人称で語っていく。女性との深い関わりを避けて、ひたすら自由を求め続けるアルフィーの生き方には共感できるが、正直言って「今さらこんな映画を作ってどうするつもり?」と思わざるを得ない。女性から女性へと自由気ままに渡り歩くアルフィーのような生き方が、今から38年前(僕が生まれた年だ!)には新しく感じられたのかもしれないが、今はこんな男などありふれているではないか。

 現代はアルフィーのキャラクターが、そのまま女性になっても成立する時代だ。仕事に対する野心はあるし、目の前の仕事はそつなくこなす。ゲームのようにお手軽な恋愛を繰り返し、相手が自分との関係に深入りし始めるとサッと身をかわして巧みに逃げる。相手をおだてていい気持ちにさせるが、それらは口先だけの方便で、実際にどこまで本気なのかは本人にもわからない。縛られることを嫌い、責任からは逃れたいくせに、ひとりでいるのは寂しくて仕方がない。今の世の中は、男も女もアルフィーみたいな人ばかりだ。

 では今回『アルフィー』を再映画化する意図は、いったいどんなところにあるのか? 今やありふれたキャラクターになってしまったアルフィーの人物像に、21世紀の映画としてどんな新しさがあるのか? それが僕にはよくわからない。オリジナルの映画から今回のリメイク版を作るにあたり、細かな設定や筋運びを微調整しているようだが(僕はオリジナルを未見である)、だからといってこの映画が、西暦2005年の観客に「自分たちの映画」として共感される作品になっているのか?

 映画は全体をアルフィー本人のモノローグで構成しているが、その割にはこの人物がきわめて薄っぺらなものに感じられる。女性に優しいだけのおしゃれで無責任な女たらしという類型的なキャラクターから、アルフィー・エルキンスという人物だけが持つ個性がなかなか浮かび上がってこない。彼のような人物が世の中には大勢いるだろうというリアリティは感じるが、それとキャラクターへの感情移入は別なのだ。

 もっともこの映画、そもそも「新しさ」など求めていないのかもしれない。音楽にはミック・ジャガーと、元ユーリズミックスのデイヴ・スチュアートが参加しているが、映画の冒頭とラストに流れるのはバート・バカラックとハル・テヴィッドの手によるオリジナル版の主題歌「アルフィー」。オープニングや劇中で見せるグラフィカルな表現なども60年代風。これはある世代の人たちにとってカルト化している青春映画を、そっくり現代に移しかえようとする実験なのかもしれない。

(原題:Alfie)

7月公開予定 シャンテシネ
配給:UIP
2004年|1時間45分|イギリス、アメリカ|カラー|1:1.85|DTS、ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.alfie.jp/
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