あした元気にな〜れ!

〜半分のさつまいも〜

2005/06/10 メディアボックス試写室
東京大空襲で戦災孤児になった子供たちの焼け跡生活。
原作は海老名家の母・海老名香葉子。by K. Hattori

 原作を書いたエッセイストの海老名香葉子は、昭和の爆笑王と言われた落語家林家三平の夫人で、今年九代目を襲名した林家正蔵(旧名:林家こぶ平)の母。今回の映画は彼女の自伝的エッセイ「半分のさつまいも」が原作で、太平洋戦争末期の疎開生活から、東京大空襲で家族を失った体験、戦後焼け跡になった東京で生き残った兄を捜すまでが描かれる。同じ作者の戦前から終戦までを描いた著書「うしろの正面だあれ」は、91年に同じタイトルでアニメ映画化されている。今回の映画はその続編のような位置づけだ。

 さてその映画だが、残念ながら僕はあまり感心しなかった。今から60年前の日本を再現するために、調べるべきところはきちんと調べ、戦後の生活をありのままに再現しようとしているのはわかる。しかしそれが、僕の心には何も引っかからない。わかりきったことだが、現代の東京と60年前の焼け跡はあまりにも別世界で、まるっきり接点らしきものが見当たらないのだ。映画と自分の日常に接点がないと、人は映画の世界に入っていけない。自分とは縁もゆかりもない赤の他人のために、泣いたり笑ったりする人は滅多にいないのだ。僕はこの映画に登場する人たちに、最初から最後までひどい距離感を感じた。

 同じような子供の焼け跡生活を描いていても、高畑勲の『火垂るの墓』は観客が入り込めるだけの仕掛けを随所に施していた。それはプロの声優を使わずにあえて素人くさい声優を使うことであり、作り手と観客が共有できる身体性を生々しく感じさせる高度な作画技術であり、極めつけはサクマ式ドロップスの缶だったりするわけだ。こうした仕掛けによって、観客は映画の世界が「わかる」気分になる。あとは手練手管で、ずるずると物語の中に観客を引き込んでいく。

 しかしこの『あした元気にな〜れ!』に、そうした巧妙な仕掛けはない。主人公かよ子の声を人気女優の上戸彩が演じていることも、かえって映画の世界に入り込めない壁を作っているように思う。空襲で死んでしまうかよ子の家族の声を林家こぶ平・いっ平など林家一門の人たちが演じているのも、意図はわかるけれど逆効果ではないだろうか。

 この映画は戦後60年の今に生きる子供たちに、戦争体験や平和の大切さを継承していこうとするものだろう。しかし戦後の窮乏生活のカタログ的な描写は、もう少し説明を補わないと観ていてよくわからない人がいるはずだ。「配給」「闇市」「買い出し」「筍生活」なんて、今の子供たちには何のことだかわからないはず。映画を観た後で親が説明しようにも、映画に登場するかよ子と同じ10歳ぐらいの子供を持つ親はまだ30代ぐらいで、そのどれだけが映画に出てくる戦後生活のディテールを説明できるかは不明だ。

 戦争体験を伝える努力は必要だろう。しかしそのためにはこの映画では足りない。もっと別の語り方で、戦争を伝えていく工夫が必要だ。

7月2日公開予定 東京都写真美術館、新宿シアターアップル、銀座博品館劇場
配給:「あした元気にな〜れ!」全国配給委員会
2005年|1時間30分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.ashita-genki.com/
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