オープン・ウォーター

2005/06/22 サンプルビデオ
実話をもとにしたシミュレーション・サスペンス。
じっと自分の死を見つめる恐怖。by K. Hattori

 観光でダイビングをしていたアメリカ人夫婦が、ボートの船長のうっかりミスで海のど真ん中に置き去りにされ、そのまま行方不明になる事件があった。1998年にオーストラリアで起きたこの事件に着想を得て作られたのが、この『オープン・ウォーター』だ。これは実話そのものの映画化ではない。モデルになった夫婦は消息不明なのだから、海の中で実際にどんな事があったのかはわかるはずがない。この映画は一組の夫婦が事故で海に取り残された時、そこで一体何が起きるのかというシミュレーションなのだ。

 ダイビング中の事故はそれほど珍しい事でもなく、日本でも毎年数十人が亡くなったり行方不明になっている。世界中では毎年数百人が亡くなっているはずだ。監督のクリス・ケンティスは本人もダイビングが趣味だというから、ダイビング中の事故というだけでは、それが映画になると考えもしなかったに違いない。この物語のミソは、夫婦が揃って遭難するところにある。ひとりが置き去りにされたり潮に流されたりしても、「お気の毒」で済まされてしまうだろう。しかしそこにふたりの人間がいればドラマが生まれる。ふたりの置かれる状況が悲惨であればあるほど、ドラマは否応なしに盛り上がる。

 同じようなシチュエーションの「男女ふたりだけのドラマ」には、リナ・ウェルトミューラーの『流されて』がある。(そのリメイクがガイ・リッチーの『スウェプト・アウェイ』。)無人島に流された男女の人間ドラマだが、『オープン・ウォーター』は島影すら見えない海のど真ん中という点で、人間ドラマとしては純度が高いのかもしれない。ぐるりと360度を見回しても、自分たち以外には何も存在しない海の上。海面には木っ端一切れたりとも浮かんでいないのだ。視界に入るのは互いの姿のみ。これでふたりの間に何かドラマが生まれないはずがない。

 映画は導入部があまりにも退屈なのだが、この退屈さは作り手の意図したものだろう。主人公夫婦が巻き込まれる事故はあまりにも簡単に起きてしまうため、そこに至る伏線も何も存在しない。つまり、映画の序盤はまったくハラハラドキドキがないのだ。パニック映画では事件に至る小さな予兆と警告がまずあり、予兆の軽視と警告の無視が結果として大事件を招くというのが定番の筋立てだ。しかしこの映画の中で、事故はなんの予兆もなしに起きる。

 恐怖の真髄は、決定されている死が引き延ばされていく過程にある。置き去りにされた夫婦は、その時点で死を決定づけられている。しかし彼らにすぐ死が訪れるわけではない。主人公たちはなかなか死なないが、死は少しずつ迫ってくる。彼らは自分自身の死を凝視しながら、それを迎え入れるしかない。

 映画としてはもう少し工夫が欲しいな〜と思う点が多々あって、魅力的なアイデアを十分には生かしきれていない印象も受ける。引きの絵がもう少し欲しいよな〜。

(原題:Open Water)

6月25日公開予定 シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか全国
配給・宣伝:ムービーアイ エンタテインメント 宣伝:ルビコン
2003年|1時間19分|アメリカ|カラー|ビスタサイズ|ドルビーデジタル、SDDS、dts
関連ホームページ:http://www.openwater-movie.jp/
DVD SpecialShop DiscStation 7dream_88_31 TSUTAYA online
ホームページ
ホームページへ