コーチ・カーター

2005/06/23 UIP試写室
スポーツ馬鹿を育てる仕組みにバスケのコーチがNO!
アメリカ社会を考えさせる実録映画。by K. Hattori

 高校時代は何のためにあるのか? それは輝かしい青春の思い出を作るため? それとも大学受験のための準備期間なのだろうか? リッチモンド高校でバスケットのコーチをしているケン・カーターは後者の立場だ。しかし彼の主張は指導を受けている生徒だけでなく、その保護者、周囲の教師や校長からもまったく理解されない。なぜならリッチモンド高校は荒れた地域の中の底辺校で、そもそも生徒たちにとって大学受験など夢物語。生徒の大半が高校を卒業することなく辞めていく現実の中で、スポーツは生徒を学校にとどめておくための美味しいエサに過ぎないからだ。

 カーターはこれに異を唱える。運動選手としての華々しい活躍を高校時代の美しい思い出にするだけでは、生活はなにも変わらないではないか。貧しい黒人生徒がその貧しさから逃れるためには、奨学金を得て大学で学ぶ必要がある。カーターはバスケットのコーチを引き受けるに当たって、生徒や保護者たちと契約を交わす。それは練習や試合をしながら授業にもすべて出席し、一定以上の成績を取るというものだった。カーターの指導で急速に強くなっていくチームだったが……。

 実話をもとにしたスポーツ映画で、主演はサミュエル・L・ジャクソン。実際の“事件”はカーターがコーチに就任して2年目のシーズンに起きたようだが(コーチ就任は97年で事件は99年1月)、映画では最初の年の出来事に変更するなど実話そのままの映画というわけではない。監督は『ネゴシエーター』『セイブ・ザ・ラスト・ダンス』のトーマス・カーター。

 高校スポーツの常識に逆らって文武両道の指導を徹底するカーターは、そのやり方が周囲からまったく理解されない一種の変人だ。ところがサミュエル・L・ジャクソンが主人公を演じるとそのカリスマ性ゆえに、映画を観ている側は「コーチの方が正しい」という前提で映画を観てしまう。体育館の閉鎖で彼が地域住民の吊るし上げを受ける場面になると、周囲の無理解ぶりに腹が立ってくるほどだ。でも実録映画としてなら、ここはカーターと生徒たちのつながりを「約束を守る」という一点に絞り、進学云々とことは最後の結果として見せればそれでいいような気もする。

 おそらく映画のための創作だと思うが、映画ではカーターに反発してチームを離れた生徒が暴力に彩られた街の現実に直面してショックを受け、泣きながらコーチに許しを請う場面がある。アメリカ人ならここで、この物語が「放蕩息子の帰還」のバリエーションだとわかるだろう。リッチモンド高校の生徒たちは、さまざまな事情で父親のいない者が多い。現実には存在しない「父親の威厳」を代行して演じるのが、ケン・カーターというバスケットのコーチなのだろう。映画は高校バスケット部の「生徒と指導者」の物語として始まり、最後は血縁を超えた「父と息子たち」の物語として終わるのだ。

(原題:Coach Carter)

8月6日公開予定 テアトルタイムズスクエア
配給:UIP
2005年|2時間16分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|DTS、Dolby Digital
関連ホームページ:http://www.cc-movie.jp/
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