NANA

2005/10/05 錦糸町シネマ8楽天地
カルト的人気を誇る矢沢あいのコミックを映画化。
大谷監督の映画ではないような……。by K. Hattori

 若い女性たちの間でカルト的な人気があるという同名コミックを、『avec mon mari アベック モン マリ』や『とらばいゆ』『約三十の嘘』の大谷健太郎監督が映画化。脚本は監督本人と浅野妙子の共作となっているが、一人称の語りを生かした物語はテンポがあまり良いとも言えず、『avec mon mari』や『とらばいゆ』の切れ味を期待するとと少し肩すかし。特に主人公たちの出会いを描く序盤のモタツキは気になるのだが、このあたりはひょっとすると、原作コミックの展開に引っ張られた結果なのかもしれない。

 「NANA」という同じ名前を持つふたりの女の子が上京する新幹線の中で出会い、友情を深めていく物語だ。高校時代の恋人を追って上京してきた小松奈々と、ロック・バンドのボーカリストをしている大崎ナナが主人公。ふたりのキャラクターが見事なまでに対照的に描かれているのだが、それが豊かな現代を生きる二通りの生き方の典型として巧みに描かれている。愛想はいいが自分が何をやって生きていけばいいのかわからないまま、ある時は恋人を頼り、ある時は友人を頼って、その日その日を「アナタ任せ」で生きている奈々。自分の生きる道をきちんと見すえ、そのためならどんな痛みにでも絶えてみせると歯を食いしばっているナナ。ふたりの主人公は生い立ちや家庭環境、男性に対する考えや態度など、生活様式なと、すべてが正反対に設定されている。まるでネガとポジ。図式的すぎるほどに、ミエミエのキャラクター設定なのだ。

 おそらく現実の世界では、こうした正反対の個性の者同士が親友になったり、ましてやひとつの部屋で同居生活するなどあり得ないに違いない。しかしこの物語は、ふたりを同じ名前、同じ年齢、同じ日に上京してきて、同じ新幹線でとなり同士になり、同じ日に別々の不動産屋から同じ部屋に案内されたという数々の「偶然」で引き寄せる。これほどの偶然がこの世にあり得るなら、対照的な個性のこのふたりが同居できたとしても不思議ではなかろう。

 映画はほとんど全編に奈々のモノローグがかぶさるのだが、それはすべて「過去形」で語られる。「あの時あんなことがあったよね」とか、「あの時わたしはこう思ったんだよ」といった具合。こうした語りは、物語の悲劇的な結末を否応なしに予感させると同時に、現在進行形のドラマはそれがどんなに辛いものであろうと、悲しいものであろうと、思い出話のオブラート効果ですべてが美しい瞬間に変貌する。そして映画の中でもっとも衝撃的なのは、このモノローグが奈々からナナへとバトンタッチした瞬間だ。語り手が交代し、映画の中の時制が変化する。映画の中の「今」が、映画を観ている側の「今」と重なり合うその瞬間、この映画の中でもっとも感動的な場面が立ち現れる。ナナが元恋人のステージを見上げながら涙を流すとき、観客も同じように涙を流すのだ。

9月3日公開 みゆき座ほか全国東宝洋画系
配給:東宝
2005年|1時間54分|日本|カラー 関連ホームページ:http://www.nana-movie.com/
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