銀色の髪のアギト

2005/11/02 松竹試写室
森と人とが戦う未来社会を舞台にしたアニメ映画。
宮崎駿作品のエピゴーネン。by K. Hattori

 何しろ「世界のミヤザキ」なのだ。宮崎駿の作品は世界中のアニメ製作者に影響を与えているし、その作品世界に触発されるだけでなく、明らかな模倣としか思えない作品も少なからず生み出されている。ましてや日本で宮崎アニメを見て育ち、長じては宮崎アニメの製作現場で働いたという人たちから、その影響を排除してまったくのオリジナル作品を作れと要求するのはかなり難しいのかもしれない。しかしだ、ここまで影響力があらわな作品を、あえて現在オリジナル・アニメとして製作する意味があるのだろうか?

 本作『銀色の髪のアギト』は、「未来少年コナン」や『ルパン三世/カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』そして『もののけ姫』などから、話のアイデア、世界観、エピソード、シーンの演出まで、あれこれ引用ながらツギハギして、一応それらしく作り上げた台紙の上に張り付けただけの作品ではないのか。(ついでに『AKIRA』のエッセンスを少々ふりかけてある。)僕にはこの映画から、製作者たちがやりたかったことがまったく伝わってこなかった。マネならマネで構わない。好きな作品からシーンを引用したっていい。表現というのは先行者の模倣の上に成り立っているのだ。でも引用や模倣をしたとしても、作品の中心には「これがやりたい!」という明確な芯が必要なんじゃないだろうか。この作品の場合、それは一体なんなのだ?

 物語の舞台は遠い未来の地球だ。遺伝子操作で運動能力を身に付けた植物が人類に襲いかかり、人間の築き上げてきた文明は滅び、世界は深いの中に森に沈んだ。だがその中でも、少数の人間は生き延びる。映画に登場するのは、森と武力で敵対する武装都市ラグナと、森と共存しながら人間の暮らしを再建しようとする中立都市だ。ここに登場する「森と人との対決」というモチーフは、『ナウシカ』や『もののけ姫』に描かれているテーマの焼き直しだろう。また重工業主体の武装都市ラグナと自然と共存する中立都市の関係は、「未来少年コナン」におけるインダストリアとハイハーバーの関係を連想させる。宮崎駿は『ナウシカ』において人間に害をあたえる大自然の恐怖を描き、『もののけ姫』においては人間と自然との共存がきわめて困難であることを描いている。しかし本作『銀色の髪のアギト』においては、「自然は友だち」という信じられないほど楽天的なオチで済ませてしまった。

 ヒロインが悪党の手に落ちることで、破壊的なパワーを持つマシンが生きを吹き返すという話は「未来少年コナン」と『天空の城ラピュタ』だ。超人的なパワーを持つ主人公がヒロインを抱き抱えてジャンプする場面は、そのまま「コナン」で何度も見ている。ここまで来ると、もはや「真似じゃん!」という気持ちより、僕は懐かしさの方が勝ってしまった。でもここまでやるなら、権利をクリアして「コナン」をリメイクしてほしいな〜。

2006年1月7日公開予定 東劇、渋谷アミューズCQN、シネ・リーブル池袋
配給:松竹
2005年|1時間35分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.gin-iro.jp/
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