ポビーとディンガン

2005/11/17 GAGA試写室
行方不明になった妹の架空の友だちを探す兄。
『34丁目の奇跡』みたいな話。by K. Hattori

 物語の舞台は、オパール産出で知られるオーストラリアの鉱山地区ライトニングリッジ。一攫千金を夢にてこの地区に移り住んできたウィリアムソン一家の気がかりは、幼い娘ケリーアンが、架空の友だちであるポビーとディンガンとしか遊ぼうとしないことだ。普通の友だちを作ってほしいと願う両親は、ポビーとディンガンを鉱山に連れて行くと言い聞かせ、ケリーアンをクラスメイトの開くパーティに送り出す。だが帰宅したケリーアンは「ポビーとディンガンが帰って来ていない!」と大騒ぎ。ふたりを鉱山に連れ戻しに行くと言ってきかない娘に押し切られた父は、すぐ隣で採掘していた男からオパール泥棒の濡れ衣を着せられてしまう。病み衰えるケリーアンと、泥棒の濡れ衣で他の住民たちから村八分になってしまったウィリアムソン一家。ケリーアンの兄アシュモルは、妹のため、そして一家のために、自分が何をすればいいのか考えるのだが……。

 この映画のテーマは、目に見えない何かを「信じる」ことだ。ケリーアンにだけ見える(架空の)友だちポビーとディンガンは、他の誰にも見えない。しかしケリーアンを愛している周囲の人たちは、やがてその存在を「信じる」ことにする。映画の中には他にもいくつか、「信じる」ことにまつわるエピソードが登場する。穴泥棒の濡れ衣を着せられた一家の父親は、その罪を晴らすことができない。彼が無実であることを物理的に証明することはできない以上、それは「信じる」より他に方法がない。元の採掘穴を追われた彼は、まだ誰も採掘に手を出していない土地に穴を掘り始める。しかしそのための方法は、折り曲げた針金を使って鉱脈を占うという、まったく非科学的な方法なのだ。しかし父親はそんな自分の方法を「信じる」し、家族もまたそんな父のやり方を「信じる」。

 架空の存在だと思われているものも、それを「信じる」ことで現実のものになる。これはクリスマス映画の定番『34丁目の奇蹟(奇跡)』と、同じようなテーマを掲げる映画なのだ。(そういえばこの映画もクリスマスシーズンを舞台にしている。)でも僕はこの映画から、『34丁目の奇蹟』のような共感や感動を味わうことができなかった。それは映画を観ている僕が、ポビーとディンガンの存在を最後まで「信じる」ことができなかったからだ。僕には映画の登場人物たちが、やっぱり最後の最後までポビーとディンガンを「信じたふり」をしているようにしか見えない。『34丁目の奇蹟』では「クリス・クリングルは本当のサンタクロースだ!」と信じられるのに、この映画ではそうした気持ちになれないのだ。映画を観ている人間がポビーとディンガンを信じられなければ、ケリーアンは最後までちょっと頭のおかしな少女で終わってしまう。彼女のその後が、映画の中で描かれなかったことも含めて、最後まで腑に落ちない映画だった。

(原題:Opal Dreams)

11月26日公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマ 協力:日活
2005年|オーストラリア、イギリス|カラー|ビスタ|DOLBY SR、DIGITAL
関連ホームページ:http://c.gyao.jp/pobbydingan/
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