RIZE〈ライズ〉

2005/12/16 GAGA試写室
社会的貧困の中でダンスで自己表現する若者たち。
アメリカ社会のもうひとつの現実。by K. Hattori

 日本は一億総中流の世の中から、貧富の格差が拡大してそれが固定化する階層社会になりつつあるという。もちろん貧富の格差など昔からあった。でも昔は「努力して勉強すれば、一所懸命仕事をすれば豊かになれる」という希望があった。その希望の存在が、一億総中流という幻想を生み出していた。だがそんな幻想も、今や消え去りつつある。高度経済成長期にあった社会のダイナミズムは失われ、豊かな家庭の子供は高い教育を受けて高賃金の仕事に就き、貧しい家庭の子供はろくな教育が受けられずに低賃金の仕事に就く。それが豊かさや貧しさを次世代に継承して、固定化された貧富の差を生み出すらしい。俗に「勝ち組」「負け組」などと言うが、貧富の差が社会階層として固定化されてしまうと、人間は生まれたときから人生の勝ち負けを決定づけられてしまうのだ。

 アメリカでもっとも治安の悪い街とも言われるロサンゼルスのサウスセントラル地区は、低所得が次世代の低所得者を生み出すという典型的な負の悪循環に陥っている地域だ。そこで生まれ育った子供たちには、明るい未来への希望などない。貧しさが普通になって、誰も豊かな明日を考えられない。楽に稼ぐことを考えれば、行き着く先はギャングの一員だ。やることは麻薬の密売か、ピストル強盗か、あるいは売春だろうか。いずれにせよ、一人前に働けるまで生きていたらの話ではある。街では毎日のように、人が撃たれているのだ。ただその時に道を歩いていたというだけの理由で、人間が車からの射撃の標的になる。それがサウスセントラルの現実だ。

 そんなサウスセントラルで、ダンスを通じて何とかまともな生活に踏みとどまろうとする若者たちがいる。クラウン・ダンスやクラップ・ダンスと呼ばれるその激しい踊りは、踊り手があらゆる怒りや憤りを吐き出すように全身を震わせ、ちぎれんばかりに手足を振り回す。既存のヒップホップ・ダンスがそれぞれに特定のスタイルを生み出して商業化されて行ったのに対して、これらの新しいダンスはコマーシャリズムに乗ることを拒むかのように自由奔放だ。そこには明確なスタイル(姿勢)が見て取れるが、それは外見的な「型」というより「思想」のようなもの。いずれはそれがコマーシャリズムに取り込まれていくことも考えられるが、今はまだひとりひとりのダンサーたちが、誰にもマネのできない自分たちだけのダンスを模索中のようにも見える。少なくともこの映画は、クラウン・ダンスやクラップ・ダンスをそのように描いている。

 監督のデヴィッド・ラシャペルは有名なファッション写真家で、最近はミュージック・ビデオも手がけている。その延長にこの映画があるのだろう。若者たちの路上ダンスを、アフリカの伝統的なダンスと比較する場面が面白かった。黒人の若者たちがゼロから生み出したはずの最新ダンスは、彼らが忘れ去ったはずの古い伝統と響き会う。

(原題:Rize)

2006年正月第2弾公開予定 シネマライズほか全国順次ロードショー
配給:ギャガGシネマ 宣伝:ギャガ宣伝【春】グループ
2005年|1時間27分|アメリカ|カラー|ビスタサイズ|DOLBY SR、DIGITAL
関連ホームページ:http://www.rize-movie.jp/
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