リトル・ランナー

2006/01/27 GAGA試写室
母親を救う奇跡を起こすためマラソンに挑む少年。
がんばれば「夢」はかなう。by K. Hattori

 1950年代のカトリック系学校を舞台にしたカナダ映画。父親が戦死して母とふたりで生活しているラルフ・ウォーカーは、悶々とした思春期真っ只中の14歳。母が入院して家にはひとりきりだ。だがある日、母は病院のベッドで昏睡状態になっり目が覚めなくなってしまった。医者いわく、奇跡でも起きない限り回復は望めないとのこと。ならば母の命を救うため、何がなんでも奇跡を起こさなければならない! ラルフはクロスカントリー部のコーチをしているヒバート神父から、「君がボストンマラソンで優勝すれば奇跡だ」と言われてピンと来た。自分がボストンで優勝するという奇跡で、母親は目を覚ますに違いない。ラルフは1年後のマラソンで初出場の最年少優勝をすべく、独学の特訓を始めるのだった。

 母親が目を覚ますという「奇跡」と、ボストンマラソンで中学生が優勝する「奇跡」はまったく別だと思うのだが、ラルフはそんなことお構いなしだし、周囲も誰もそれを指摘しない。これはラルフのいるカトリック系の学校で、「人間が人為的に奇跡を起こせるか否か?」という部分に問題がすり替わってしまったのが原因だ。「人間は自分の分際をわきまえて生きることで幸せになれる」と主張する校長は、そもそもラルフごときが「奇跡」などと口にすることすら不愉快でたまらない。しかしラルフのひたむきな練習ぶりを見て、ヒバート神父は校長とは別の考えを持つに至る。

 病気が治るとかマラソンで優勝するという日常的な比喩としての「奇跡」と、カトリックの教義で定められている信仰解釈としての「奇跡」を結びつけているのがこの映画のポイント。日常的な奇跡について描いた映画など世の中に無数にあるわけだから、この映画のユニークさはそれを信仰の世界と結びつけたことにある。映画は時間経緯を聖人歴で表すなど、カトリックねたが満載。しかしこうした知識がなくても、映画は十分に理解できる。この映画ではカトリック教会の保守性を象徴する人物として学校の校長を配置し、事なかれ主義で体制を維持しようとする頑迷な人物に仕立てている。形式や格式を重んじる、権威主義の権化だ。こうしたゴチゴチのカトリック信仰というのは1960年代の教会刷新によって影をひそめ、現在のカトリック教会はずっと風通しのいい組織になっているはず。このあたりは1950年代を舞台にしているからこそ成立する世界かもしれない。

 いくら熱心に練習に励んだからといって、半年やそこらの練習で14歳の少年がフルマラソンを走りきれるものなのか? もちろんそれが不可能だからこそ、その実現は人知を超えた「奇跡」とされる。でもボストンマラソンは実在するレースだから、映画に登場した年にもレースは行われているはず。その歴史的な事実と、映画の中のフィクションをどう一致させるのか? 映画のラストに起きる本当の「奇跡」の中に、その秘密がありそうだ。

(原題:Saint Ralph)

3月4日公開予定 Bunkamuraル・シネマ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマ
宣伝:キャガ宣伝【夏】、アニープラネット
2004年|1時間38分|製作国|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://www.little-runner.jp/
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